先週まで舞踊作家協会30周年記念公演やら、執行バレエスクール発表会のDVD/Blu-ray制作やら、その他の企業案件やらでかなりバタバタしていましたが、ようやく落ち着いてきたました。
今日は舞踊作家協会の公演で振付家の先生方とお仕事をして、人が踊りを観るために劇場に行くことについて思ったことを書きます。
絵本とバレエは似ている
まず、思いついたことはこれ。
「絵本とバレエは似ている」
その心は?
どちらも「古いものが売れる」ということです。
僕も息子に絵本を買ったり借りてきたりしますが、その時に選択肢に入るのは新作ではなく「自分が子供の頃に読んで心に残った絵本」です。
まれにお気に入りの絵本作家さんの本は新作を買うことがありますが、おおよそ絵本に関して、「新作だから買おう」ということはあまりありません。
「桃太郎」や「ヘンゼルとグレーテル」と言った古典の絵本を選ぶときは、話は同じなので、絵が素敵なものを選んだりしています。
これはとくに日本で顕著だと思いますが、バレエも新作よりも《白鳥の湖》や《くるみ割り人形》などの古典作品の方がチケットが売れるのではないでしょうか?これはお客さんが振付家の作品ではなく、ダンサーの踊りを目当てに観に来ることが多いことが要因のように思えます。
日本のバレエ鑑賞者の多くが、鑑賞者自身が踊り手だったりバレエを習っていた経験者だったりすることもポイント。
むしろ、作品の内容はすでに知っていて、「誰が、どう踊るのか」に関心を置いたレビューを多く見かけます。
歌舞伎や、演劇におけるシェイクスピア作品も同じような感覚かと思いますが、これが舞台をはじめて観る人にとって、とっつきにくい一因かもしれません。はじめて舞台を見る人は、シェイクスピアも《白鳥の湖》も、どんな話か知りませんし、出演者のことも知りません。
ダンサーを目当てにお客さんが来るのであれば、有名なダンサーを集めて新作を作れば?
人でお客さんを集めてしまうと、初演はダンサーの知名度である程度集客できたとしても、作品自体を「新しい古典」として定着させるのが難しくなります。また、ダンサーのことをあまり知らないお客さんにとっては、いきなり新作を観に行くのはなかなかハードルが高いので、新しい客層を開拓するのも難しそうです。
そうなると、日本で新作を作る場合に「著作権の切れた原作もの」を手掛ける方法はありそうです。
バレエをはじめて見る人でも馴染みのある題材です。
ただし、ここで安易に日本の昔話や「竹取物語」などの古典に手を出すのは考えものです。この題材を今、バレエで扱う必然性を考えなくてはなりません。
この点について、少し違った角度から考えてみたいと思います。
コロナ禍を経て映画の見方が変わってきている
僕がもう一つ気になっていることは、コロナ禍を経て、人々が映画館にいく理由が変わってきていることです。
コロナ禍以前は、映画館で映画を鑑賞する動機は、自分のお気に入りの役者や監督の作品であったり、興味のある題材だったりと、作品の中身で決めていたと思います。
しかし、コロナ禍に家庭内でNetflixやアマプラで映画を鑑賞するようになると、作品の中身でわざわざ映画館を訪れる必要がなくなってしまいました。
映画館は、好きな人や同じ趣味の仲間の待ち合わせ場所になり、映画館でないと体感できない「+α」を求めて訪れる、「イベントごと」になりました。そうなると、一人でじっくり映画と対話して味わうような、いわゆるミニシアター系の映画は、残念ながらNetflixなどにその地位を奪われていくかもしれません。
「鬼滅の刃」や「ゴジラ -1.0」の世界的大ヒットは映画館に訪れることをイベント化した良い例です。
「ゴジラ -1.0」はこれまで一部の男性マニアだけが見ていた怪獣特撮映画を、人間ドラマを入れて家族やカップルでの鑑賞に耐えうる作品にした上で、世界で唯一の被爆国である日本が生み出した古典的モンスターの迫力を、映画館の大画面と大音響で最大限に発揮しました。
古典の良さは、時代を経ても変わらないテーマを扱っていることです。戦争を直接経験していない僕たち世代にとっても、大地震や台風など自然の脅威にさらされている日本人にはゴジラの圧倒的な力と、そこで逞しく生きる人間ドラマは受け入れやすいテーマでした。
一方、コロナ禍前にヒットしたにも関わらず、コロナ禍後に作られた続編が不振だった作品を考えると、「マッドマックス :フュリオサ」は前作は主人公マックスではなく、世界観を物語の主軸に置いたことで神話性と祝祭性が生まれたものを、続編でフュリオサという一人の女性の成長物語にしたことで、祝祭性はトーンダウン。同じく前作が大ヒットした「ジョーカー」も社会が生み出した絶対悪の誕生譚から「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」で恋愛話を持ち込んだことでトーンダウン。
どちらも、前評判は悪くない作品でした。ただ、この2つの作品はコロナ禍を経た人々が映画館へ足を運ぶ十分な理由を提供できなかったのだと思います。
まとめ
ここまで考えてきた内容を整理すると、日本で新しいバレエ作品を創る際に大切なのは、以下の二つのポイントかもしれません。
一つは「世界中の人が共有でき、特に日本人の心に響くテーマ」を選ぶこと。
必ずしも物語である必要はありません。例えば、ラヴェルの《ボレロ》のように音楽と身体が織りなす祝祭性だけで観客を魅了することもできます。日本には、桜や紅葉といった四季の移ろい、災害も含めた自然との対話、八百万の神々など、バレエという身体表現で描ける豊かなモチーフが溢れています。
もう一つは「個人」ではなく「現象」や「出来事」に焦点を当てること。
これはお祭りをイメージしていただくと分かりやすいです。祭りには神楽を踊る踊り手が不可欠ですが、人々は神楽を見に来るのではありません、祭りに参加するために来るのです。
観客は「見る」だけでなく、その場の空気を「感じる」あるいは誰かと「共有する」ことで作品の一部となる。そんな体験を提供できる作品が、これからの時代には求められているのではないでしょうか。
劇場に足を運ぶ理由は、時代とともに変化しています。僕もまだ結論は出ていませんが、これからも考えて続けていきたいと思います。
みなさんのご意見も、ぜひ聞かせてください。
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