福田村事件と現在 -前編-

ライムライトの仕事部屋
この記事は約5分で読めます。

今日は今週見てきたばかりの映画「福田村事件」についてご紹介します。

「福田村事件」は関東大震災で起こった実在の事件を元にした映画です。関東大震災からこの9月でちょうど100年。前後編2回にわたり、映画「福田村事件」から現代を生きる僕たちについて考えてみます。

「100年前の事件なんて自分には関係ないよ。朝から難しい話やめてよ〜。」
そう思ったそこのあなた。現代に生きる僕たちにもかかわりまくりの話です。

僕たちはなぜ知らない

まずは福田村事件とはどんな事件だったのかをご紹介します。

福田村事件(ふくだむらじけん)は、1923年(大正12年)9月6日、関東大震災後の混乱および流言飛語が生み出した社会不安の中で、香川県からの薬の行商団15名が千葉県東葛飾郡福田村(現在の野田市)三ツ堀で地元の自警団に暴行され、9名が殺害された事件である。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

この「関東大震災の混乱および流言飛語が生み出した社会不安」の際たるものとして、朝鮮人虐殺事件が挙げられます。おそらく、この事件のことをご存知ない方もいるかと思いますので、この事件についても紹介します。

関東大震災朝鮮人虐殺事件 (かんとうだいしんさいちょうせんじんぎゃくさつじけん) とは、1923年(大正12年)の日本で発生した関東地震・関東大震災の混乱の中で「朝鮮人や共産主義者が井戸に毒を入れた」というデマが流れ、それを信じた官憲や自警団などが多数の朝鮮人や共産主義者を虐殺した事件である。正確な犠牲者数は不明であるが、推定犠牲者数に数百名~約6000名と、非常に幅広い差がある。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

「福田村事件」は、この朝鮮人虐殺事件の一端として、朝鮮人だけではなく、日本人により日本人が殺された事件です。

「こんな事件、本当にあったの?僕たちはなんで知らないの?」

そうですよね。6,000名も殺されたら一大ニュースになりますよね。1995年にオウム真理教が地下鉄にサリンを撒いて多数の死傷者が出た「地下鉄サリン事件」は一大ニュースになりました。悪者がカルト集団となれば、お上もメディアも大きく取り上げます。

しかし、朝鮮人大虐殺は政府も警察もメディアも巻き込んだ誤報に基づき、一般市民が殺害に加担した事件だったので、お上もメディアも一般市民も、忘れ去りたい事件なのです。この事件は同調圧力と差別意識という、われわれが持つ「負」の側面と対峙せざるを得ません。

朝鮮人虐殺事件については、当時の証言や資料をまとめた「九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響」加藤直樹(著)という書籍がオススメ。

「福田村事件」のおもな登場人物

井浦新さん演じる澤田という人物は、日本統治下の朝鮮で教師をしていた人物です。そこで日本人兵士による朝鮮人惨殺を目の当たりにし(提岩里教会事件*)帰郷した、帝国陸軍による朝鮮統治を快く思わない、いわばリベラルな知識人です。その井浦でさえ、朝鮮人の暴動の噂に激しく動揺し、「これまで日本人が迫害してきた朝鮮人に復讐されるかもしれない」と恐怖に怯えます。

つまり、人々が潜在的に抱いていた差別意識と加害者意識が噂話を強化して「やられる前にやらなければ」という気分を作り出した一因になったのです。

実際、朝鮮人虐殺事件当時、知識人であった芥川龍之介も朝鮮人を見回る自警団に参加している。

提岩里教会事件(ていがんりきょうかいじけん)は、1919年4月15日、日本統治下の朝鮮で、三・一独立運動の最中に生じた事件。暴動を指揮した29名の朝鮮人が殺害された。

永井瑛太さん演じる沼部という人物は、四国の香川から来た薬の行商のカシラです。薬の行商といえば「富山の薬売り」が有名ですが、彼らは香川の被差別部落*の出身で、方言である讃岐語が分からないことから朝鮮人と間違われ殺害されるという、二重の差別の犠牲者となります。

*被差別部落差別(同和問題)は、日本社会の歴史的過程で形作られた身分差別により、国民の一部の人々が長い間、経済的、社会的、文化的に低い状態に置かれることを強いられ、同和地区と呼ばれる地域の出身者であることなどを理由に結婚を反対されたり、就職などの日常生活の上で差別を受けたりするなどしている、我が国固有の人権問題

水道橋博士さん演じる長谷川は、在郷軍人会による自警団のリーダーで、言わばこの事件の中心人物となるのですが、非常に気弱で真面目な、それ故にお上のいうことには誠実に従う「模範的な」人物として描かれています。

ピエール瀧さん演じる砂田という人物は新聞社の部長です。内務省の通達で差別を助長するような記事を書くことに対し、若手の新聞社員から疑問を投げかけられますが、お上に逆らうと新聞社を存続できなくなることを知っている彼は、非常に苦々しい表情で若手社員をなだめます。

関東大震災発生当時、警察の幹部だった正力松太郎は新聞記者に「朝鮮人が謀反を起こしていることを触れ回ってくれ」と要請したんだ。だけど、後にこれはデマであったことを認め、読売新聞社の社主となって自身がメディアの人間へと転身したんだよ。

東出昌大さん演じる田中という人物は渡し舟の船頭で、農村にあって畑仕事と関係のない仕事に従事している、ハズレ者として描かれます。この田中と恋仲になるのが、コムアイさん演じる島村という女性で、外の村から嫁いできて、夫を戦争で失ったため、村での居場所を失ってしまった人物です。この二人は村で起きた出来事をちょうど河岸と彼岸の間にいるような立場で見つめています。

まとめ

この事件の中には明確な悪役が存在しません。明確なヒーローも存在しません。他人事と割り切らず、虐殺に至るスイッチは自分の周りにいる人にも、あるいは自分の中にも存在すると意識することから、いま起きていることと自分との関係を考えさせてくれる、そんな映画でした。

次回は、この虐殺に至る構造を監督である森達也の著作「虐殺のスイッチ」を読み解きながら考えてみたいと思います。


最後にお知らせをさせてください。スタジオアルマ第3回公演「ラヤの夢」の映像配信がはじまっています。僕が6つのアングルから撮影した映像を編集した、舞台とは一味違った魅力の詰まった映像作品です。

どんな作品なのか見ないと判断できない方もいらっしゃると思いますので、冒頭シーンを無料で公開しています。興味をお持ちの方はぜひ、ご覧ください。

配信映像は9月25日の深夜0時まで購入できます。配信は10月1日いっぱいまでご覧になれます。配信映像チケットの購入はコチラ

 


最後までお読みいただき、有難うございます!

ブログは毎週火曜・金曜日、音声配信の「ライムライトのつぶやき」は
水曜・土曜日の朝7時に更新しています。

Xをフォロー、もしくはfacebookで「いいね」を押して頂けると、

ブログを更新したタイミングでX(旧Twitter)からお知らせします。

皆さんからのご意見・ご感想もお待ちしています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました