はじめまして、ライムライトと申します。
これまで、大手企業のVP映像や舞台映像を作るディレクター/プロデューサーをして来ました。
40代で共働き、長男で5歳の男の子のパパでもあります。
バレリーナの妻との結婚を機に、これまでの仕事とは全く異なる両親が経営するバレエ教室を継ぐことになりました。
自分のやってきたこととは異なる事業を、どう引き継いでいけばいいのか、ネットや本を調べてもしっくり来る答えは見つかりません。人や環境、職業によって選択する内容が異なり、なにか一つの答えを出すのが難しいのだと思います。
日本は世界の長寿企業ランキング1位の、超世襲国家*です。65歳以上の人口が3割を越えようとする今、仕事を引き継ぐ人はこれまで以上に増えていくでしょう。
*周年事業ラボの調査による
今後事業の引き継ぎをする予定の方や、転職して全く違う仕事を始める人、これまでのキャリアと関係のない部署に移動する人などにとって、僕がバレエ教室の引き継ぎで直面する問題、その問題に対してなにを考えてどのような行動を選択をしていくのかが、なにかのヒントになるかもしれません。
初めての投稿となる今回は、これまで僕がどのような選択をして来たかを紹介させて下さい。
20代前半。映像作家を目指し、単身アメリカ留学
両親はバレエダンサーで隣に住む叔父叔母は俳優、従兄弟は舞台の演出家という、芸術一家に生まれた僕は、人に何かを伝える仕事に就きたいと漠然と考えていました。
しかし、僕は踊ることも絵を描くことも、音楽を奏でることもできません。自分になにができるかわからず、とりあえず大学時代の選択科目で取得できる、高校の世界史教員免許を取りました。一応人に何かを伝える仕事ですが、特に先生になりたかったわけでもなく、人生経験が少なすぎて選択肢が浮かんでこなかったのです。
映像作家になるきっかけを得たのは、ビデオレンタル屋でアルバイトをしていたときに、映画の専門学校に通っている先輩の自主映画制作を手伝ったことからでした。絵が描けなくても、自分の頭の中にあるイメージをフィルムに焼き付けることで作品になるという魅力に惹かれたのです。
今思えばイメージを伝えるために絵を描く技術は重要ですが、映像は言葉で伝えられないもの、絵では伝えられないものを表現するものなので、僕の直感もあながち間違ってはいなかったと思います。
大学4年生の時に1年で卒業できる映像の専門学校をダブルスクールし、卒業後にロサンゼルスの映画学校に2年留学をしました。
ちなみに、僕のニックネームの元になった「ライムライト」は喜劇王チャールズ・チャップリンの作品名から取ったものですが、その理由はまた別の機会に。
まとめ
はい、今回はこれでお終いです。
初めてのブログ投稿、誰もいない海に石を投げているのは重々承知しています。だけどいつか、この初稿を目にしてくださる方は、溢れる情報の中からこのブログを見つけてくださった、貴重な人です。
あなたの大切な時間をいただいて、ここまで記事を読んでもらったのですから、あまり多くの時間をいただくわけにはいきません。
写真より文字が多いブログになると思うので、電車一駅の移動で読み終われる内容にしようと思います。
次回は20代後半の僕について書いていこうと思います。なかなかハードな20代後半でした…。
記事はここから3ヶ月間は平日は毎日、週5回のペースで更新していきます。本業と家庭とのバランスを見ながら、できるだけたくさんの配信をしていこうと思っています。
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また、皆さんからのご意見・ご感想もお待ちしています。
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