現代につながるノイエタンツ -2-

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今日はマリー・ウィグマン舞踊学校の卒業生で、のちの世界に大きな影響を与えた人物を紹介します。

ここで紹介している人物のほかにも活躍した人はいると思いますが、今回は祖父の著書に記載されている、1930年代前後に舞踊学校に在籍していた人物を取り上げます。

👆今日とり上げるのはここの人たち。

ハロルト・クロイツベルク


ハロルト・クロイツベルク「命ある者へのレクイエム」

ハロルト・クロイツベルクは、チェコ出身の舞踊家・振付家で、当時の花形スターでした。18歳の時にウィグマン学校に入学、その後ハノーヴァー・バレエ団に入団して世界各地で公演を行いました。祖父の先輩にあたりますが、同門の中でもっとも名声を得たダンサーの一人です。

頭を剃って不気味な存在感を漂わせた独特の風貌、どこかで見たことあるな。

この写真を見た時に、不思議な既視感がありました。日本の現代舞踊に詳しい人なら、ピンと来た人もいるのではないでしょうか?

こちらの画像は「暗黒舞踏(Butoh)」と呼ばれる前衛舞踊で、日本の伝統芸能や土着性に回帰した、西洋舞踊の対極をいくような日本の現代舞踊です。

暗黒舞踏のパイオニアといえば、大野一雄土方巽(たつみ)が挙げられます。
この2名に大きな影響を与えたのが、ドイツのノイエタンツです。

Carlos de las Piedras – Flickr: Sankai Juku, CC 表示 2.0, による
ベルリン在住の音楽同和会の集い。画面左が江口隆哉、上段左から2人目が執行正俊。

大野一雄は1934年にハロルド・クロイツベルクが来日した際の公演を観て感銘を受け、マリーウィグマン門下の江口隆哉・宮操子夫妻の研究所に入ります。

江口隆哉・宮操子夫妻は、ノイエタンツを「新興舞踊」と称して日本で広めた第一人者です。
祖父とは入れ違いでマリーウィグマン舞踊学校に入りますが、ベルリン在住の日本人同士で交流があったようです。

土方巽もまた、江口・宮舞踊研究所を独立した大野一雄に強い影響を受けて、地元の秋田県で江口隆哉門下の増村克子に師事して、ノイエタンツを学びます。

以前の記事で、ドイツに留学した日本人ダンサーは日本の伝統的な舞踊に西洋舞踊を取り入れたような表現を多く行なっていたと書きましたが、祖父もまたウィグマンスクールのリサイタルの中で日本の郷土舞踊と西洋舞踊を合わせた作品を披露しており、ウィグマンやクロイツベルクもみずからの表現に東洋的な要素を入れることに熱心でした。

このことからもノイエタンツの影響は、単に西洋の踊りを学んで日本に持ち帰ったという話ではなく、実際には東洋からもたらされた踊りが西洋にも影響を与え、現代舞踊の礎が築き上げられていったことが伺えます。

まとめ

暗黒舞踏って日本固有の、西洋舞踊のアンチテーゼ的な表現だと思っていたので、勉強してみるまではまさかノイエタンツとつながりがあるなんて知りませんでした。

いずれ別の記事でも書くと思いますが、帰国直後の祖父は西洋舞踊ではなく東洋舞踊に強い関心を持って、民族舞踊的な踊りに傾倒しています。

この気持ち、僕もアメリカに留学していたのでちょっと分かります。

海外に身を置くと、より自分のオリジナリティだったり、生まれ育った環境について意識的になるんです。祖父もまた、ドイツで学んだ技術を自分の表現にどうとり入れるのか考えた時に、日本的な表現を突き詰めてみたくなったのではないでしょうか。

次回は、今日紹介しなかった2名の人物についてご紹介します。

 


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