印象派とパリ・オペラ座 -2-

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前回は、印象派の画家であるエドガー・ドガが活躍した19世紀後半のパリ・オペラ座について紹介しました。

フランス革命で没落した貴族に代わった新興の上流階級は、パリ・オペラ座を社交場として使っていて、労働者階級出身の女性たちがパトロンを得て出世するための空間になっていました。

さて、そんなパリ・オペラ座の状況をドガはどんな思いでキャンパスに描いたのでしょうか?

まずはエドガー・ドガがどんな人だったのかについて、簡単に紹介します。

エドガー・ドガ「自画像」(1855年)

エドガー・ドガは祖父の代から裕福な銀行家の家に生まれ、フランスの国立美術学校も出て古典的絵画もしっかり学び、国の展覧会にも何度も入選している、エリートです。

これは当時のアウトサイダー集団である印象派の中にあって、異色の存在です。それだけでなく、自然光を使った風景画に関心がなく、瞬間を捉えるスケッチ力が優れていたため、室内芸術のバレエという、正確さとバランスが求められる題材を多く扱いました。

性格は良いところのおぼっちゃまらしく、非常に内気で優しく、友人のマネいわく、女性とまともに話すこともできなかったようです。

そういえばドガの絵って、女性を正面から捉えたものが全然なくて、うしろからとか遠くからとか、目線が合わないものばかりだね。

そんなドガが、パトロンとバレリーナの関係をどんな目で見ていたでしょう?

ここからは僕の想像ですが、踊り子たちに「美」を見出しながら、彼女たちから一定の距離を置き続けた彼にとって、土足で舞台に足を踏み入れて、彼女達と関係を持つパトロンには忸怩たる思いがあったのではないでしょうか?

では、そんな彼がなぜ自分の作品にあえてパトロンを描き込んだのか?

この謎を昭和の文豪の代表作から紐解いてみたいと思います。

エドガー・ドガ『三人の踊り子』(1873)

三島由紀夫の『金閣寺』

三島由紀夫の代表作『金閣寺』。1950年に金閣寺を放火した実在の僧侶をモデルにした作品です。

以下にあらすじを紹介します。

金閣寺の美しさに憑かれた僧侶の溝口は、自分のどもりや醜さに悩む。戦争や恋愛、友情などさまざまな経験を通して変化する自分と自己の内面で輝き続ける金閣寺、そして実在する金閣寺との間で心は揺れ動き、執着はますます強まっていく。最後に溝口は金閣寺に火をつけて逮捕される。

この小説の主人公、溝口は金閣寺に魅せられ、実際に僧侶として金閣寺で働き出します。住み込みで働くリアルな金閣寺と自分自身は外の世界の影響を受けて変化していく一方、自分の内面にある金閣寺は永遠に輝き続けています。現実と内面のギャップが強くなるにつれ、彼は金閣寺を自分の中にだけとどめて、永遠に自分だけのものにしたいという欲望に駆られるのです。

金閣寺が女性だったら、完全にサイコパスのストーカー事件。

ドガにとって、「美」を象徴する踊り子たちは近寄り難い存在です。そんな彼女たちを外部から侵食する存在がパトロンです。もしかしたら彼の作品の中にあってパトロンはドガ自身の劣等感のあらわれであり、踊り子たちのはかなさ、あやうさを際立たせるための存在なのかもしれません。

前回の記事でも書いた通り、印象派の最大の特徴は画家が主観的に感じた印象を表現することです。

まとめ

現在のパリ・オペラ座は1875年に開場されたガルニエ宮ですが、それまではル・ペルティエ街にあるサル・ル・ペルティエがパリ・オペラ座の本拠地であり、ドガの絵画の背景としても多く使用されてきました。

ところが1873年、ル・ペルティエ街のオペラ座は原因不明の火災により消失してしまいます。

この火災をドガはどんな気持ちで眺めていたのでしょうか?

 


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