バレエの歴史 20世紀後半 イギリス編 -2-

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前回、イギリスのバレエの特徴には物語や感情表現などの深い演劇的表現があると書きましたが、今回はバレエ全幕作品の演劇的表現を大きく前進させたイギリス国籍の3人の振付家、フレデリック・アシュトン、ケネス・マクマミラン、ジョン・クランコをご紹介します。

フレデリック・アシュトン イギリスバレエの確立者

フレデリック・アシュトン(1904-88)は、他の二人よりも世代が上の先駆者です。アシュトンは1904年にエクアドルで英国外交官の四男として生まれ、幼少期を南米とイギリスで過ごしました。アシュトンは社交的で上流階級との付き合いも多く、恵まれた環境で育ちました。

13歳の頃ペルーでアンナ・パヴロワの演技を見て感動し、ダンサーを志します。レオニード・マシーンマリー・ランベールのバレエ学校で学び、イダ・ルビンシュテインのカンパニーでダンサーとして踊った後にド・ヴァロワの招きでヴィック=ウェルズ・バレエ団*(のちのロイヤル・バレエ団)に入団し、カマルゴ協会でも振付を担当します。

*ド・ヴァロワは当初、ヴィクトリア劇場とサドラーズ・ウェルズ劇場の二つの劇場で公演を行っていた。

キャリアの前半だけ見ても、アシュトンがバレエ・リュスの影響を受けた振付家であることが分かる。

フレデリック・アシュトンの絵画
Theindel – 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=47749730による

彼の作風は陽気で明るく、観客に喜びと楽しさを届けました。63年からロイヤル・バレエ団の芸術監督として活躍し、バレエ団の発展に大きく貢献しました。代表作には、《ラ・フィユ・マル・ガルデ》(60)やバレエ映画《ピーターラビットと仲間たち》(71)などがあります。

ケネス・マクミラン 演劇的バレエの深化

ケネス・マクミラン(1929-92)は、アシュトンとは対照的に、スコットランドの貧しい家庭に生まれ、少年時代に母親を心臓発作で亡くしています。ド・ヴァロワサドラーズ・ウェルズ・バレエ団に入団し、長身でスタイルの良い彼は将来のスターと期待されていのにもかかわらず、ステージ・フライト(舞台恐怖症)に悩まされて、踊れなくなってしまいました。

ステージ・フライトに悩まされた彼を支えたのが次に紹介する2歳年上のジョン・クランコ

クランコが主催するグループ公演に振付家として参加したのをきっかけに、マクマミランはダンサーから振付家に転身するんだ。

マクミランの作風は愁を帯びた物悲しいもので、深い心理描写とリアリスティックな表現が特徴です。登場人物の歓喜、憎悪、絶望のような激しい感情や、鋭い対立・葛藤など劇的な緊張を伴う場面の表現に優れていました。代表作としては前回ルドルフ・ヌレエフとマーゴ・フォンテインのところでご紹介したロミオとジュリエット》(65)やアベ・プレヴォの長編小説、『マノン・レスコー』*をバレエ化した《マノン》(74)などの名作を生み出しました。

70年にアシュトンの後任としてロイヤル・バレエ団の芸術監督に就任し77年まで務めました。

*1731年に刊行されたファム・ファタール(男たちを破滅させる女)を描いた文学作品としては最初のものといわれ、繊細な心理描写からロマン主義文学の始まりともされる。

ジョン・クランコ シュツットガルトの奇跡

ジョン・クランコ(1927-73)は南アフリカ生まれで、終戦直後に渡英し、マクマミランと同じド・ヴァロワサドラーズ・ウェルズ・バレエ団で学びました。

若くして振付の才能を開花させ、50年代だけでもド・ヴァロワのバレエ団以外にバレエ・ランベール(のちのランバート・ダンス・カンパニー)、ニューヨーク・シティ・バレエ団ミラノ・スカラ座バレエ団*に作品を提供しています。

*1778年の開場以来、クラシックバレエの伝統を守りながらも現代バレエの革新に取り組む、イタリアを代表するバレエ団。

1961年にドイツのシュツットガルトバレエ団の芸術監督に就任し、それまでほぼ無名だったこのバレエ団を短期間に世界的なバレエ団へと育成したことで「シュツットガルトの奇跡」と呼ばれる革新をもたらします。

クランコの振付は、登場人物の性格を明瞭に表現する演技、筋立てがはっきりとわかる演出、そしてダイナミックで抒情的な振付が特徴です。

代表作の《ロミオとジュリエット》(62)はマクマミラン版がリアリティを追求したシンプルな舞台装置と衣装を用いて登場人物の内面に迫る表現が特徴的なのに対して、クランコ版はドラマティックな感情表現と豪華な舞台装置、歴史的な衣装が特徴的です。その他、プーシキンの韻文小説を原作とした《オネーギン》(65)などがあります。

しかし、73年に旅行中の飛行機内で心臓発作を起こし、45歳という若さで早逝しました。

ジョン・クランコ版《ロミオとジュリエット》43分あたりのバルコニーのシーンをマクマミラン版と見比べると面白い

まとめ

陽気で明るい喜劇的な演出に長けたフレデリック・アシュトン、哀愁を帯びた深い心理描写で悲劇的な演出に長けたケネス・マクマミラン、ドラマティックで感情表現豊かなジョン・クランコ。それぞれがイギリスのバレエの演劇的表現を深化させました。

さて、ジョン・クランコが起こした「シュツットガルトの奇跡」には続きがあります。それはのちに現代バレエ界に大きな影響を与える1940年代生まれの振付家を3人も輩出したことです。

次回はこのシュツットガルトバレエ団が生み出した3人の振付家に焦点を当てて、ドイツのバレエを紹介したいと思います。

 


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