これまで、ロシア、アメリカ、フランスと20世紀以降のバレエの歴史を紹介してきました。今回はイギリスのバレエについてご紹介します。イギリスのバレエの歴史は決して古くありませんが、20世紀に入り急速な発展を遂げて世界最高水準のバレエ大国となります。
20世紀に急速な発展を遂げたイギリスのバレエ
バレエ・リュスのダンサーであった、ニネット・ド・ヴァロワが立ち上げたサドラーズ=ウェルズ・バレエ団は1956年にロイヤル・バレエ団となります。
ロイヤル・バレエ団は前回紹介したシルヴィ・ギエムの移籍先であり、吉田都、熊川哲也と言った日本人ダンサーがプリンシパルを務めたバレエ団だよ。
「ロイヤル」の名称が授与された際に、サドラーズ=ウェルズ・バレエ団は二つのバレエ団に分かれます。ひとつはロイヤル・オペラ・ハウスを拠点とするメインのロイヤル・バレエ団、もう一つは旧本拠地であるサドラーズ・ウェルズ劇場を拠点とするサドラーズ・ウェルズ・ロイヤル・バレエ団です。
後者は1990年にバーミンガムに拠点を移し、バーミンガム・ロイヤル・バレエ団として再編成されました。
その他、ロイヤル・バレエ団に次ぐ人気を誇るイングリッシュ・ナショナルバレエ団(89)、地方都市ではリーズを拠点とするノーザン・バレエ団(69)、グラスゴーを拠点とするスコティッシュ・バレエ団(69)など、ロンドンのみならず全国規模でバレエが普及します。
戦後はアーツカウンシルに代表される政府主導の文化振興政策や、国立バレエ学校設立(56)など、教育への取り組みがイギリスのバレエの発展を支えた側面があることに加えて、じつは王室行事にバレエを組み込むことで王室の文化的影響力を示す役割もあったみたい。これにより、バレエが一般市民や国際社会に対しても高い評価を受けることになり、社会的地位も向上した。
マーゴ・フォンテインとルドルフ・ヌレエフ
ロイヤル・バレエ団が国際的な名声を得る大きなきっかけとなったのが、マーゴ・フォンテインとルドルフ・ヌレエフのデュエットです。
過去のブログでも紹介しましたが、ルドルフ・ヌレエフは1961年、23歳の時にソ連からフランスへと亡命を果たし、その後ド・ヴァロワの招きでロイヤル・バレエ団に参加します。
一方のマーゴ・フォンティンの舞台デビューは1934年。黒目黒髪のエキゾチックな容貌が特徴的で、ロイヤル・バレエ団のスターとして活躍していました。
1962年にヌレエフと《ジゼル》で最初の共演を果たしたときにはヌレエフが24歳、フォンテインは43歳と年齢差がありましたが、ヌレエフのエネルギッシュで力強いパフォーマンスと、フォンテインの優雅で感情豊かな踊りが絶妙に調和して大成功をおさめ、続く《白鳥の湖》(64)、《ロミオとジュリエット》(65)のいずれも高く評価され、すでに引退が囁かれる年齢に差し掛かっていたフォンテインはその後10年以上に及ぶヌレエフとのパートナーシップで再びバレエ界に名をとどろかせます。
英国バレエの特徴
イギリスのバレエが他の国のバレエと一線を画す大きな特徴のひとつとして、技術的な卓越性だけでなく、深い演劇的表現が挙げられます。
イギリスにはシェイクスピアに代表される豊かな演劇の歴史を持つ国です。イギリスの観客は物語性と感情表現を重視し、バレエにもそれを求める傾向があります。
こういった文化的背景を持つ国で生まれた3人の振付家、ジョン・クランコ、フレデリック・アシュトン、ケネス・マクマミランは、いずれもバレエにおける演劇的表現を進化させることに貢献しました。
3人ともイギリス国籍で、若い頃にド・ヴァロワの元で学んでいます。この3名については、次回のブログで詳しく紹介したいと思います。
まとめ
20世紀のイギリスのバレエは、バレエ・リュス出身のニネット・ド・ヴァロアによるサドラーズ・ウェルズ・バレエ団設立にはじまり、マーゴ・フォンテインとルドルフ・ヌレエフの伝説的な共演、豊かな演劇の歴史があるイギリスで育った振付家たちの演劇的表現を深化させた革新的な振付、そして国と王室の支援によって大きく発展しました。
1980年代以降、イギリスのバレエシーンはより多様化し、クラシックのみならずコンテンポラリーダンスなどの新しいアプローチが取り入れられるようになります。
次回はイギリスのバレエを発展させた3人の振付家についてご紹介します。
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