バレエの歴史 20世紀後半 -日本編-

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これまで、ロシア、東欧、フランス、イギリス、ドイツのバレエを紹介してきた「バレエの歴史 20世紀後半編」ですが、今回は私たちが暮らす、日本について紹介します。

日本のバレエ史については、今後改めて特集を組んでいこうと思いますので、今回は戦後から20世紀の終わりまでの流れを駆け足でご紹介します。

東京バレエ団(第1期)の結成と解散

1946年、敗戦の翌年に既存の小バレエ団が合同して東京バレエ団*が結成されます。

*1964年に創設されて現在も続く東京バレエ団とは別の団体。

同バレエ団には、エリアナ・パヴロワやオリガ・サファイヤのもとで学んだダンサーたち、服部智恵子、松尾明美、貝谷八百子、東勇作、小牧正英、島田廣らが集まりました。

《白鳥の湖》(46) 中央が東勇作、右が貝谷八百子

旗揚げ公演の《白鳥の湖》(46)は大成功だったのですが、小バレエ団の集まりであったこの団代はメンバー間の引き抜きなどの内紛が原因で50年に解散し、同団の参加者やその弟子たちを中心に次々とバレエ団が設立されていきます。

服部智恵子は離散したメンバーの仲をとりもって、バレエの全国組織である日本バレエ協会(58)を設立して初代会長に就任した。松尾明美、貝谷八百子は旗揚げ公演《白鳥の湖》の主役をダブルキャストで演じた。東勇作は僕の祖父の1番弟子で、松尾明美の先生。小牧正英は上海バレエ・リュス出身で「バレエ」の名付け親。(それまでは「バレーボール」と同じ「バレー」だった)島田廣は服部智恵子の夫で、新国立劇場バレエ団の初代芸術監督。

民間バレエ団が全国へ広がる

以降半世紀、日本のバレエ界は民間のバレエ団が支えていきます。松山バレエ団(48)、谷桃子バレエ団(49)、牧阿佐美バレエ団(56)などは、現在も精力的に公演活動を続けています。

そして1997年、東京に新国立劇場が開場し、はじめて国立の名前を冠する新国立劇場バレエ団が誕生します。初代芸術監督は先述した島田廣が務めました。

さらに、イギリスのロイヤル・バレエ団でプリンシパルを務めた、熊川哲也を芸術監督とするKバレエカンパニーが20世紀の終わりの1999年に設立され、日本バレエ界を牽引する一翼を担います。

島田 廣(1919-2013)

まとめ

現在、日本には地方の民間バレエ団も数多く存在し、海外バレエ団の来日公演も頻繁に開催されています。

また、全国的に女性の習い事としてバレエは定着しており、全国には約4,500*のバレエ教室があります。バレエ人口は減少の一途を辿っていますが、推定で約25万人おり、バレエ大国と表現して差し支えのない規模となっています。バレエ大国の日本が直面する課題と可能性について、僕のブログでは今後も注目していきたいと思います。

*『「日本のバレエ教育に関する全国調査」報告書』(2022年3月発行)より

まだまだ今回のブログで紹介しきれていない国内のバレエ団や踊りに関係する組織はたくさんあります。まず、バレエの歴史シリーズで全世界的なバレエの潮流を紹介してから、つぎに国内のバレエ史を掘り下げていこうと思っています。

さて、次回はまだ紹介していない全世界の主要なバレエ団についてご紹介して、「バレエの歴史 20世紀後半編」のラストを飾りたいと思います。

 


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