バレエの歴史 20世紀後半 -ドイツ編-

ライムライトの図書館
この記事は約6分で読めます。

前回のブログで、ほとんど無名だったドイツのシュツットガルト・バレエ団が、ジョン・クランコのもと「シュツットガルトの奇跡」と呼ばれる革新を起こし、世界的なバレエ団へと成長したことをご紹介しました。

今回は、シュツットガルト・バレエ団が輩出した3人の振付家、ジョン・ノイマイヤー、イリ・キリアン、ウィリアム・フォーサイスを中心に、20世紀後半のドイツのバレエについてご紹介します。

1948年の東西分裂と新しいバレエ団の誕生

第二次世界大戦後、ドイツは東西に分裂し、それぞれに新しいバレエ団が設立されました。東ドイツはソ連の影響が色濃く、クラシックなバレエが重視される一方、西ドイツではより多様で革新的なバレエが発展しました。

主要なバレエ団は前回紹介したシュツットガルト・バレエ団(61)に加え、ノイマイヤーが芸術監督を務めるハンブルク・バレエ団(73)やミュンヘンのバイエルン国立バレエ団(88)などがあります。

また、1990年に東西ドイツが統一し、2004年にはベルリンを拠点とする3つのバレエ団が統合されて、ベルリン国立バレエ団が誕生しました。

20世紀後半のドイツの主要なバレエ団のある都市

シュツットガルト・バレエ団が生んだ3人の巨匠

ジョン・ノイマイヤー -求心力と緩急を活かしたドラマティックな表現-

ジョン・ノイマイヤー(1939-)は、アメリカ中西部に生まれ、英国ロイヤル・バレエ学校卒業後、63年にシュツットガルト・バレエ団へ入団し、ソリストとして踊ると同時に振付を始めました。73年にハンブルク・バレエ団の芸術監督に就任し、多くの革新的な作品を生み出しました。

ノイマイヤーの作品は、古典的なバレエの要素を取り入れつつ、現代的な感性を融合させたものが多く、外に向かう伸びやかな動きと身体の中心へ巻き込む動きを組み合わせたダイナミックな表現と、緩急を使い分けた緊張感のある演出を得意としました。代表作《幻想「白鳥の湖」のように》(76)では、舞台上に築城の現場をしつらえ、作品中で《白鳥の湖》が上演されるという入れ子構造で、ルードヴィヒ二世の狂気を描き出しました。《椿姫》(78)ではマルグリットとアルマンの誤解とすれ違いによる悲劇を描きました。

《椿姫》(78)
Ewa Krasucka TW-ON – Zgoda od Teatru Wielkiego – Opery Narodowej., CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=73401648による
イリ・キリアン -ダンスデコールとモダンダンスの融合-
イリ・キリアン(1947-)
KYLIAN PRODUCTIONS BV – KYLIAN PRODUCTIONS BV, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=98087242による

イリ・キリアンは1947年、チェコスロバキア(現在のチェコ共和国)で生まれました。プラハの国立バレエ学校で訓練を受けた後、シュツットガルト・バレエ団で振付家としての道を歩み始めました。

彼のスタイルは、ダンス・デコールの動きにモダンダンスの「コントラクションとリリース」を基本とする動きを融合させ、非常に詩的で、深い感情を表現することに優れています。1975年にオランダのネザーランド・ダンス・シアターの芸術監督に就任し、多くの革新的な作品を発表しました。

キリアンの作品は、抽象的でありながらも強い物語性を持ち、視覚的にも美しいものが多いです。代表作には母国チェコの作曲家ヤナーチェクの楽曲による《シンフォニエッタ》(78)や武満透の楽曲による《ドリーム・タイム》(83)、オーストラリア先住民のアボリジニに取材した《スタンピング・グラウンド》(83)などがあります。

ウィリアム・フォーサイス -前衛的構造と大胆な解体-

ウィリアム・フォーサイスは1949年、アメリカのニューヨークで生まれました。ジャズダンスからキャリアを始め、シュツットガルト・バレエ団で振付家としての才能を発揮しました。

フォーサイスの作品は、構造的でありながらも感情的な動きが特徴であり、視覚的なインパクトも強いです。

彼はバレエの伝統的な技法を大胆に解体し、新しい表現方法を追求しています。例えば、ダンサーが身体と空間を幾何学的に把握して、ダンスの動きを際限なく生成できる「アルゴリズミック・ダンス」と呼ばれる手法を開発しました。

と、言葉で説明されてもなんのことかわからないよね。僕も分からない。百聞は一見にしかず。彼の代表作のリンクを貼っておくので見てね。

ウィリアム・フォーサイス(1949-)

1984年にはフランクフルト・バレエ団(現在活動停止)の芸術監督に就任し、その後も多くの前衛的な作品を発表しました。代表作には《ステップ・テクスト》(84)、《アーティファクト》(84)、《イン・ザ・ミドル・サムワット・エレベイテッド》(88)や《ヘルマン・シュメルマン》(92)などがあります。

フォーサイスはジョージ・バランシンに強く影響を受けました。ニジンスキーはダンス・デコールを否定しましたが、バランシンはダンス・デコールをベースにその動きを拡張したと言われています。さらにフォーサイスは制約だらけのダンス・デコールの体系を一度解体し、再構築した点から、バレエの脱構築、「ポストモダニズム」を押し進めたと評価されています。

まとめ

20世紀後半は、アートシーン全体がモダニズムからポストモダニズムへと移行する時期であり、バレエもその影響を受けました。今回紹介した振付家たちは、バレエに新しい生命を吹き込みました。しかし、この変革はバレエを「わかりにくく」する側面も持ち合わせていました。

ポストモダニズムは、既存の枠組みや伝統を再評価し、新たな表現の可能性を探求する動きです。これにより、バレエもアートも、より抽象的で多層的な作品が生まれ、観客にとって理解が難しい作品が増えた一方、キリアンのようなモダンダンスを取り入れたスタイルや昔ながらの伝統的なスタイルを維持するバレエ団も依然として存在しており、それが僕のような外部の人間からみるとわかりにくく感じるのです。

「ポストモダニズム=わかりにくい」ではなく、古典とモダニズム、ポストモダニズムが共存している状況がややこしい。これは現代アート全体に言えることかもしれない。

僕のブログはこういった「わかりにくさ」を少しでも解消し、理解することが目的のひとつではありますが、一方で僕は「難かしいと感じること」も悪くないと思っています。わからないからこそ、自分の頭で考えることができるのですから。

また、作品を鑑賞する上で「わかること」も共感という意味では大切ですが、わかるよりも感じることの方がもっと大事なのではないでしょうか。

いつだって圧倒的な作品は、問答無用で僕たちの心を動かしてくれます。

 


最後までお読みいただき、有難うございます!

ブログは毎週火曜・金曜日、音声配信の「ライムライトのつぶやき」は
水曜・土曜日の朝7時に更新しています。

Xをフォロー、もしくはfacebookで「いいね」を押して頂けると、

ブログを更新したタイミングでX(旧Twitter)からお知らせします。

皆さんからのご意見・ご感想もお待ちしています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました