いよいよ今回でバレエの歴史19世紀フランス編が終了します。薄々気づいておられる方もいらっしゃるかもしれませんが、「フランス編」と名打っておりますが、19世紀はバレエが国際化して、フランスだけの話ではおさまらなくなってなっています。
19世紀後半になると、フランスのロマンティック・バレエはロシアへと伝わり、クラシック・バレエへと発展していくのですが、今回はフランスとロシアの中間に位置するデンマークのバレエを紹介します。
デンマークのバレエ
19世紀前半、デンマークはナポレオン戦争でフランス側について敗れたため、政治・経済的な危機に瀕していました。そのため、デンマークでは国民主義的な文化活動が活発になり、ロマン主義が隆盛を極め、「デンマーク黄金時代」と呼ばれる絵画、彫刻、建築、音楽、文学、哲学などの創作活動が活発な時期を迎えます。

20世紀、第1次世界大戦に敗北したドイツでワイマール文化が花ひらいた状況と似ているね。

デンマーク黄金時代を代表する人物として、童話作家のアンデルセン、哲学者のキルケゴール、そしてバレエ振付家のブルノンヴィルをあげることができます。



ブルノンヴィルの父親はフランス人で、デンマーク王立劇場のバレエマスターでした。ブルノンヴィル自身もパリに赴き、オーギュスト・ヴェストリスに師事して、パリ・オペラ座でマリー・タリオーニの相手役を務めました。帰国してデンマーク王立歌劇場のバレエマスターに就任した後は「ブルノンヴィル・メソッド」と呼ばれる、独自の技法を体系化し、デンマークの舞台芸術を牽引します。
スターたちの全ての長所を兼ね備えた天才ダンサー
ルシル・グラーン(デンマーク)
ルシル・グラーンはデンマークのコペンハーゲンに生まれ、ブルノンヴィルの秘蔵っ子として育てられます。その後、ブルノンヴィルと袂を分かってパリ・オペラ座に入団。9歳年上のファニー・エルスラーのライバルになります。グラーンはタリオーニの当たり役《ラ・シルフィード》で主役を踊ったり、ロシアのペテルブルクではグリジより先に《ジゼル》を披露するなど、タリオーニ、エルスラー、チェリート、グリジのすべての長所を兼ね備えたダンサーとして賞賛されます。

5人のスターダンサーたちの夢の共演

前回と今回で紹介した5人の女性スターは共演も果たしています。1843年ロンドンのハー・マジェスティーズ劇場で、ペロー振付の《パ・ド・ドゥ》をエルスラーとチェリートが、翌々年に《パ・ド・カトル》でタリオーニ、チェリート、グリジ、グラーンが共演し、ヴィクトリア女王も観劇しました。また1846年《パリスの審判》ではタリオーニ、チェリート、グラーンが共演します。

ちなみに、《パリスの審判》はトロイアのパリス王子が3人の女神のうち誰が一番美しいかを決めさせられるギリシア神話。きっとお客さんもパリス王子と一緒に悶々としたんだろうね。
童話作家アンデルセンのバレエ愛
童話作家として有名なアンデルセンは、若い頃はオペラ歌手を目指していて、コペンハーゲンの王立歌劇場附属のバレエ学校で学び、ダンサーとして舞台にも立っています。舞台で成功しなかった彼は、詩、小説、戯曲の創作に打ち込み、「赤い靴」「裸の王様」「雪の女王」などに代表される文学作品は、のちにニジンスカ、マシーン、バランシンなど、20世紀のバレエ史の重要人物たちの創作意欲を刺激します。
まとめ
はい、今日はこれでおしまいです。
19世紀前半に流行ったロマンティック・バレエがロシアに渡りクラシック・バレエに発展する過程で、パリ・オペラ座は一度その勢いを失います。そのあたりのことは「印象派とパリ・オペラ座」という過去記事に書きましたので、興味をお持ちの方はご覧ください。
次回からいよいよ、僕たちが「バレエ」としてイメージする、クラシック・バレエの時代に入ります。お楽しみに!
最後までお読みいただき、有難うございます!
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