幕開けの足跡 -1986-

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今日から両親のバレエ教室である執行バレエスクールの歴史を紐解く新シリーズをお届けします。

1935年スクール開局以来、発表会が今日に至るまで何年続いているのか正確にはわかりませんが、現存する発表会プログラム約40年分に掲載された挨拶文を通じて、バレエ教室を取り巻く環境の変化や、主催者である祖父母や父母の当時の想いを紹介します。

東京にある小さなバレエ教室の視線から、時代の空気を感じていただければと思います。

第1回目は、現存するプログラムの中で一番古い、1986年の発表会の挨拶文をご紹介します。

1986年のおもな出来事

読者の中には1986年にはまだ生まれていない方もいらっしゃるかもしれないので、まずはこの時代のおもな出来事を振り返ってみます。

  • 4月26日: チェルノブイリ原子力発電所事故が発生
  • 8月4日: 映画「天空の城ラピュタ」が公開
  • 9月6日: 大韓航空858便爆破事件が発生
  • バブル経済の始まりとされる年
  • 小説「ノルウェイの森」(村上春樹)がベストセラーに
  • ミハイル・バリシニコフがアメリカン・バレエ・シアター(ABT)の芸術監督を退任
  • モーリス・ベジャールが東京バレエ団のために「カブキ」を創作し、初演
  • ピナ・バウシュの「春の祭典」が日本で初上演される

1986年、僕は小学4年生。親から「お小遣いをあげるからバレエのレッスンを受けてごらん」と言われてレッスンを受けていた。結局、僕は長続きしないでやめてしまったけど、一緒にレッスンを受けた2歳年下の男の子はバレエダンサーになり、今では自分のバレエ教室を運営している。

1986年8月17日(日)日本青年館

以下、1986年の発表会プログラムから祖父、執行正俊の挨拶文を掲載します。

私の記憶の中で

昨年のパキータに次いで今年は日本青年館に定り私共には戦前数回ここを使ったので懐かしい。今日は「ステージドア」の再演と20年前やったバレエ「めじか」の再演である。初演は1924年モンテカルロで(新編成のバレエリュス)ニジンスカの振付で上演、私がドイツへ留学したのが1930年、偶然にもベルリンでラインハルトの新演出「ホフマン物語」のリハーサルの時、振付役でニジンスカに会った。亦他にドーリン、ラヤーナ、スウエイン等紹介された。その頃のベルリンは世界的舞踊家が続々と集った。反面ヒトラーの独裁下で私が日本へ帰る頃はウイグマン学校や市立オペラ等閉鎖され多くの芸術家が続々と各国へ亡命した。今は年老いた私にもあの頃の舞踊家達の近況を知ることは涙が出る程嬉しい。幸いこの二、三年来知遇を得た。西ドイツ、エッセン舞踊大学で教鞭をとる佐々木氏から既に15通位の写真とお手紙によってその後どう変化したか知る事が出来た。彼は9月15日から国立劇場でのピナバウシュとウツパタール舞踊団と共に来日する予定で再会する事を楽しみにして居る。このピナバウシュ一行の「春の祭典」は先年ニューヨークで大好評だった作品で皆様にも是非御覧になる様に推薦します。この公演が終わると帰国、9月下旬にウイグマン生誕百年祭をリヨンでやるそうで、私も参加したくてももう少し元気にならねばと残念です。

ー執行正俊

挨拶文には、祖父は留学先のドイツであのニジンスキーの妹にしてバレエ・リュスの振付家、ブロニスラヴァ・ニジンスカヤに会ったエピソードや、20世紀初頭のヨーロッパの演劇界において重要な演出家であり映画監督であった、マックス・ラインハルトの「ホフマン物語」のリハーサルに立ち会っていたことなどが書かれています。

ラインハルトは革新的な舞台演出とモダニズムを融合させたスタイルが特徴で「ホフマン物語」は当時ドイツで流行していた表現主義の手法を取り入れた彼の代表作のひとつです。

《ステージドア》は祖父が作・演出をし、祖母の花月達子が振付を行ったオリジナル作品で、少女たちが楽しくバレエ教室に通う姿を想って創作した作品です。その背景には、ヒトラーの弾圧で創作の場を奪われていった舞踊家達への想いがあったのかもしれません。

また、明確な弾圧の記録は見つかりませんでしたが、軍国主義に傾く戦前の日本も、西洋文化に対する風当たりが強く、祖父も肩身の狭い思いをしたのではないでしょうか。

ベルリンでのマックスラインハルト(1930)
Bundesarchiv, Bild 102-10387 / CC-BY-SA 3.0, CC BY-SA 3.0 de, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=5414892による

また、この年に日本で初上演されたピナ・バウシュの「春の祭典」についても言及があります。ウツパタール舞踊団はピナ・バウシュが率いた舞踊団で、彼女の死後も彼女の遺産を継承し、現在も活動を続けています。

また、祖父の師であるマリー・ウィグマンの生誕百年祭には、ダンス界の多くの著名人が参加し、ピナ・バウシュをはじめ、アメリカで活躍したハンヤ・ホルムなど祖父の留学当時ノイエタンツの薫陶を受けた多くの学生や後継者たちが彼女の遺産を称え、ウイグマンの表現主義ダンスが現代舞踊に与えた影響を再確認する機会となりました。

まとめ

祖父のオリジナル作品《ステージドア》はその後も何度か発表会で再演されていますが、個人的に印象に残っているのは2021年です。

と言うのも50年以上続いていた執行バレエスクールの発表会が新型コロナウイルスの流行によって2020年は公演自粛の憂き目にあい、2021年は子供の部と大人の部で完全入替制にして2年ぶりに再開した時に上演されたからです。

「たった1年」と思われるかもしれませんが、生徒の中には発表会が途切れた年に卒業を迎え、そのまま舞台に立てなかった子供たちもいます。そんな中、バレエ教室に楽しげに通う生徒たちを描いたこの作品が発表会で上演されたことは、生徒にとっても、先生方にとっても特別な体験になったと思います。

 


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