幕開けの足跡 -1976-

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これまで50年以上開催されている執行バレエスクールの発表会。その挨拶文から時代を読み解く「幕開けの足跡」シリーズ。

今回は1976年の挨拶文を紹介しようと思うのですが、

プログラムを見てぶったまげました。

まずはプログラムの表紙をご覧ください。

1796年?

フランスではナポレオンがブイブイ言わし、江戸幕府は鎖国の真っ只中。そんな時期に日本最古のバレエ発表会…。

なわけありませんw

この誤植が原因かどうかはわかりませんが、翌年からプログラムのデザインが変わります。

本当は1976年8月1日に行われた発表会。この年の12月に僕は生まれるのですが、この時はまだ母親のお腹の中。いったいどんな発表会が行われたのでしょうか?

1976年のおもな出来事

まずは1976年のおもな出来事を振り返ってみます。

  • アメリカ独立宣言200周年: 建国200周年を祝う「バイセンテニアル」イベントが全国で開催。
  • ジミー・カーターの大統領選出: ジミー・カーターがアメリカ大統領選挙で当選。
  • 毛沢東の死去: 中国の指導者である毛沢東が死去。
  • ベトナム社会主義共和国成立: 南北ベトナムが統一。
  • ロッキード事件:「ロッキード社」の贈収賄事件発覚で、田中角栄元首相が逮捕。
  • クイーンの日本全国ツアー: ロックバンド、クイーンの人気が世界に先駆け、日本ではじまる。

1976年は冷戦下で政治・経済・社会が揺れる年だった。アメリカ大統領選があったこの年に、ベトナム帰還兵の孤独な青年が政治家暗殺を企てる映画『タクシー・ドライバー』が公開された。中国では毛沢東が死去し、日本ではロッキード事件が政界を揺るがした。一方で、ディスコブームが到来し、DJによる音楽のミキシングが盛んに行われるようになり、クイーンのフレディー・マーキュリーがバレエ・リュスのニジンスキーを意識した衣装を披露バレエの影響に言及、のちのモーリス・ベジャールによる《バレエ・フォー・ライフ》(97)が生まれる原点になるなど、メディアミックスが盛んに行われた年とも言える。

1976年8月1日(日)東京厚生年金会館大ホール

それでは、1976年の発表会プログラムの挨拶文を掲載します。

「作品2,3について」

本題に入る前に先づ私は昨年暮の文化庁助成公演で私の作「遥なる旅路」上演に当り、生憎交通ストで皆様に大変ご迷惑をかけた事を詫びねばならない。さて今日は昨年の「ジゼル」からまる1年振りの発表会である。「めじか」は1967年虎の門ホールで公演、つまり2度目の上演になる。これを記念に表紙に私の古い書棚から見付けた面白い写真を紹介する。これは1926年サラベルナール記念劇場で上演された「めじか」である。若き日のリファール其の他が出演している。次に一度やって見たかった子供の夢とロマンを盛り込んだ「人魚姫」を上演、亦モダンダンスシリーズとして「ボレロ」を上演、元来ボレロはスペインマンチャ地方の民族舞踊で早い3拍子で男女向い合いバレエ靴をはいてカブリオルやアントルシヤが入り軽快な踊である。ラベルのそれは若くして死んだ晩年の作で、一般にはこの曲でよくスペイン舞踊風に踊られるが、恐らく彼自身はスペイン舞踊とは関係なく独自の創作的リズムで作ったと思える。只素晴らしい管弦楽法とモノトニーの盛り上りで、大衆の心をこの様に捕らえたものと思う。思いつくままに書いてみた。

ー執行正俊

この年のプログラムは4部構成で第3部に「ボレロ」と「人魚姫」、第4部に「めじか」が入っているので、タイトルの「作品2,3」が何を指すのかは分かりませんでした。

《遥なる旅路》(1975)渋谷公会堂

まず、前年の文化庁助成公演で行われた《遥なる旅路》に関しては写真は残っているのですがどんな作品なのかは分かりませんでした。

ド○クエの音楽とは何の関係もない。

次に紹介されている《めじか》(1924)はバレエ・リュスでブロニスラヴァ・ニジンスカが振り付けた作品です。「めじか」は若い女性を表す言葉で若者たちの無邪気な戯れを描いています。サラベルナール記念劇場は現在のパリ市立劇場のことで、日本の舞踏グループ、山海塾の拠点だった場所です。

人魚姫》は、今年新国立劇場バレエ団Kバレエが上演したり、ジョン・ノイマイヤーが振り付けた作品がありますが、プログラムを見ると構成・演出は執行正俊、振付が花月達子(祖母)となっているので、全くの別ものだと思われます。

《人魚姫》をはじめてバレエ作品にしたのは誰かを調べてみたところ、デンマークの振付家ハラルド・ランダー(Harald Lander)が1936年にデンマーク王立バレエ団のために振り付けた『人魚姫』が最初のようです。

ハラルド・ランダーはブルノンヴィルの伝統的なバレエスタイルを学び、1926年から27年にかけてバレエ界の巨匠ミハイル・フォーキンにも師事し、デンマーク王立バレエ団の芸術監督を務めた人物です。

祖父が影響を受けたとすれば、このハラルド・ランダーによる《人魚姫》ではないかと思います。

ボレロ》に関してはブログで何度か紹介していますが、ラヴェルが作曲する以前の踊りが紹介されており、興味深いです。父の代になってからも何度も発表会で上演されており、これまでどんな改変が行われて来たのか今後聞いてみるのも面白そうです。

まとめ

前回1975年の記事を書いたあと、昔のお弟子さんから、翌年から子育てに専念するために、母は自分が一番好きな作品である《ジゼル》を75年の発表会で踊ったと聞きました。つまり、現役のダンサーとしては1975年で引退を考えていたという事です。

実際、出産を控えた1976年は母は踊り手としては参加していませんし、それまで全幕ものに比較的多く挑戦していた発表会の演目も、中作品を複数組み合わせた演目が上演されています。

もしかしたら全幕ものには相当なエネルギーが必要なので、このような組み合わせになったのかもしれません。

では、これ以降の作品に母が出演しなくなったかというとそうではありません。

ダンサーにとって出産というは大きなテーマですし、それぞれ違った向き合い方をしていると思うので、母や妻をはじめ、いろいろな人に話を聞いて記事にしていくのも良いかもしれません。

みなさんはどう思われますか?ぜひ、ご意見をお聞かせください。

 


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