約1ヶ月ぶりのつづきとなる「幕開けの足跡」シリーズ。
前回は1960年代の世界情勢やダンス界の潮流について振り返りました。サマー・オブ・ラブやヒッピームーブメント、ポストモダンダンスの台頭など、従来の芸術観や価値観が問い直される時代だったことをお伝えしました。
今回からいよいよプログラムの内容を紹介していきます。
最初にお伝えすることとして、この「幕開けの足跡」シリーズは執行バレエスクールの発表会の挨拶文を紹介するものですが、前回のブログでご紹介した通り、1967年に催された本公演は「執行正俊バレエ団(N.Shigyo Ballet Troupe)」として、文化庁(当時の文部省)が主催した第22回芸術祭に出品したものだということです。
ですから、挨拶文も発表会に来場した親御さんに向けたものではなく、はじめて祖父のことを知る人に向けて書いた文章だということを念頭に置いてお読みください。
第22回芸術祭 1967年10月23日(月) 虎ノ門ホール

ながい旅路における情熱
執行 正俊
私の「踊り」の道は来年で40年を迎える。1929年、ベルリンに留学し、最初はデビリエバレエ学校に、次にウイグマン学校、さらに市立オペラでマウドリクにバレエの舞台演出等を学んだ。このように、1930年代初頭のバレエ界は、古典様式から新しい心理的バレエやモダンダンスの様式を取り入れようとする運動が起きていた。ニジンスカやドーリン・スミルノバなどもベルリンで活動していた。しかし、一方でヒトラーが台頭し、舞踊界はドイツを離れ、世界各地に分散することとなった。モダンダンスのウイグマンやクロイツベルクはアメリカに新天地を見つけ、これがアメリカのモダンダンスの基礎造りに役立った。
その頃帰国した私は、ライハルト改訂版の『コッペリア』とフリッツ・ベーメの『オルフェ』を上演したが、当時の日本は戦時色が強く、また友邦ドイツのノイエ・タンツ(新舞踊)が盛んだった。そのため、『コッペリア』上演の際も「バレエ」という言葉を使うことを憚られ、「舞踊劇」と称したことを覚えている。今日まで私は常にバレエをモダン・バレエとして、新しい技術と演出の研究に励み、また純粋なモダンダンスの研究、さらにはスペインを中心とするキャラクターダンスの勉強を行ってきた。
戦後、とくにこの10年間で日本のバレエ界の技術進歩は著しい。それに対して、モダンダンス界も最近アメリカから新しい技術が移入され、確固たる理論のもとに表現美学の研究も進められている。私たちのバレエ団もこのような多角的な方向に進むために、正確なクラシックダンスの基盤の上で新しい技術を学ぶことが大切である。幸いにも粕谷辰雄氏にお願いし、ここ数年来、クラシックの技術面の指導を受けている。
まだバレエ団員としては未熟な者ばかりで、未知の世界に初めて飛び出す者も多いが、時代も次の世代へと移りつつある。私の息子もこの機会に成長していくことを願い、どうか今後ともご指導、ご支援をよろしくお願い申し上げます。
挨拶文の前半では、これまで僕のブログで紹介してきた祖父の歩みが非常に簡潔にまとめられています。
また、戦前の日本でモダンダンスが流行した背景として、当時同盟国だったドイツの文化は受け入れられていたが、バレエは敵対国の文化として忌避され、「バレエ」という言葉そのものが使えずに「舞踊劇」と称して公演を行なっていたことが記されています。
さらに帰国後の祖父はモダンダンスの要素をバレエの中に取り込み、モダンバレエとして進展させる研究を進めていたことが書かれています。

モダンバレエ(Modern-Ballet)という言葉は海外から来たものだと思っていたけど、時系列的にはモダンダンスとコンテンポラリーダンスの間くらいに生まれた、かなり和製英語に近い概念だったことが分かった。海外で「モダンバレエ」と言っても通じないんじゃないかな。このあたりは僕とAIとの会話の過去記事も参考にしてみて。
さらに、60年代にアメリカからもたらされたモダンダンスの新しい潮流についても言及があります。これは、前回のブログで紹介したポストモダンダンスのことを指していると思われます。
粕谷辰雄氏について
挨拶文の中で触れられている粕谷辰雄氏(1917-2005)は、日本のクラシックバレエ史の初期を支えた重要人物です。過去のブログでも紹介しましたが、東京バレエ団の初公演《白鳥の湖》にも出演した舞踊家です。
この公演では、バレエ・リュス時代のニジンスカが振付けた《めじか》(1924)を再振付しています。
また父の話だと、祖父から直接踊りの稽古を受けた経験はあまりなく、父は粕谷先生の元でクラシックバレエを習ったそうです。ですから、日本のクラシックバレエ史のみならず、我が家にとっても、とても重要な人物だったと言えます。

まとめ
今回のプログラムは、芸術祭出品公演ということもあり、いつもの発表会の挨拶文と比べて、かなり熱量が高く、比例して文章量も多い印象でした。
これまでの活動が簡潔にまとめられていたので、僕が生まれるの前の60年代の祖父の動向をある程度知ることができました。
次回は、公演に際して祖父の知り合いからお祝いの言葉をいただいているのですが、その中に日本の西洋舞踊史における最重要人物の一人からの祝辞があったので、祖父との関係も含めてご紹介したいと思います。
最後までお読みいただき、有難うございます!
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