先週は大正から昭和初期にかけて、バレエよりもモダンダンスが先に流行した、日本独自の「ねじれ現象」について、AI(ジピちゃん)と僕との会話を紹介しました。
前回のブログの最後に、戦前から現代にかけて、日本におけるモダンダンスとクラシックバレエの関係がどのように変化したのかについて、ジピちゃんが以下のようにまとめてくれました。
時代 | モダンダンスの状況 | クラシックバレエの状況 |
---|---|---|
大正〜昭和初期 | 日本に導入され、芸術運動の一環として広まる | 限られた人々しか学べず、本格的な普及には至らず |
戦後(1950年代〜) | 既存のバレエ団に組み込まれ、芸術の一部となる | 海外のバレエ団の影響で急速に発展、格式ある「芸術」として定着 |
現代(1990年代〜) | コンテンポラリーダンスと融合し、多様化 | クラシックバレエは「ハイ・アート」としての地位を維持 |
ここで、僕が興味をもったのが「戦後のモダンダンスが既存のバレエ団に組み込まれた」、という記述です。
今日はこのあたりから僕とジピちゃんの会話をご紹介します。
戦後、モダンダンスとクラシックバレエの関係性が変化

ジピちゃんも知っていると思うけど、僕の祖父は戦前ドイツでモダンダンスとクラシックバレエを学んできて、帰国後に執行バレエスクールを作ったんだ。
でも、息子である父にはクラシックバレエを学ばせて、現在の教室はモダンやコンテの考え方も踏まえながらクラシックバレエを中心とした指導を行っている。本来、クラシックバレエのカウンターカルチャーとして存在していたモダンダンスが、戦後の日本でどのように既存のバレエ団に組み込まれていったのかな?

お祖父様の歴史的背景(戦前にドイツでモダンバレエとクラシックを学び、戦後に執行バレエスクールを設立) という点は、まさに日本のバレエ史の流れを象徴していますね。
1. 戦前の日本におけるモダンバレエとクラシックバレエ
まず、戦前の日本ではモダンバレエとクラシックバレエは明確に異なる流れを持っていたことが重要です。
- クラシックバレエの受容
- 明治・大正期には、日本にはまだ本格的なクラシックバレエの伝統はなかった。
- 西洋舞踊は一部の富裕層や留学生によって学ばれたものの、国内で広まる環境はなかった。
- モダンバレエの受容
📌 戦前の日本では、クラシックバレエよりもモダンバレエのほうが先に受容され、影響力を持っていた。
2. 戦後(1950年代以降):クラシックバレエの急速な普及とモダンバレエの統合
戦後、日本のバレエ界は大きな転換期を迎えます。
① クラシックバレエが「格式ある芸術」として急速に定着
- 戦後、日独ともに「戦前の文化」を否定する風潮が強まった。
- 戦後、アメリカ・ヨーロッパとの文化交流が活発になり、本格的なクラシックバレエ団が設立される。
- 1950年代から全国にバレエ教室が増加し、特に富裕層の家庭で「子どもに習わせるべき品格のある芸術」 というイメージが形成された。
- これにより、バレエは「一部のプロのための芸術」ではなく、一般家庭にも浸透し始めた。

この頃から、良いところのお嬢さんはクラシック音楽かバレエを習っているイメージが定着したんだね。

② モダンダンスがクラシックバレエ団に統合されていく
- 戦前にモダンダンスを学んだダンサーたちは、「格式ある芸術」として世間に認知されていたバレエを基盤にすることで組織運営や資金調達がしやすく、クラシックバレエを基盤に組織を作ることが多くなった。
- 戦前にモダンダンスを学んだバレエダンサーの間で、戦後はクラシックバレエの要素を取り入れながら指導するケースが増えた。
- 結果として、モダンダンスの「身体表現の自由さ」や「ドラマティックな演出」は、クラシックバレエの枠内で活かされる形で統合されていった。
📌 「モダンダンス単体での発展」ではなく、「クラシックバレエに吸収される形で生き残った」ことが戦後の大きな特徴。

個人的には1950-60年代に第一次ベビーブームの子供達がバレエを習い事にしたのが大きかったと思う。「モダンでは食べていけないけど、バレエなら食べていける」という、教室側の懐事情にも大きく影響して、急速にバレエ人口が増えたんじゃないかな。
3. なぜモダンダンスは独立したジャンルとして存続しなかったのか?
モダンダンスが日本で独立したジャンルとして発展しなかった理由には、いくつかの要因があります。
- 戦前の日本では、同盟国であるドイツの影響を受けたモダンダンスが主流だったが、戦後はその文化的な位置づけが低下した。
- 戦後、日本は欧米の「格式ある芸術」としてクラシックバレエを積極的に受け入れ、60年代以降は政府の支援も加わり、バレエが急速に発展した。
- 1960年代以降、モダンダンスは次第に「モダンバレエ」あるいは「コンテンポラリーダンス」として新たな方向性を見出し、別の表現形式にシフトしていった。

お父様がクラシックバレエを基本としつつ、モダンやコンテンポラリーの考え方を踏まえた振付を行っているというのは、まさにこの流れを象徴しています。クラシックバレエの枠組みの中にモダンの要素を取り入れる流れは今でも続いていて、牧阿佐美バレヱ団やKバレエカンパニーなどでも、コンテンポラリー的な要素を持つ振付が増えています。
5. 結論:「モダンダンスはクラシックバレエ団に吸収される形で生き残った」
- 戦前の日本では、モダンダンスのほうが影響力が強かった。
- 戦後のクラシックバレエの急速な普及により、モダンバレエは「単独のジャンル」としてではなく、クラシックバレエの要素の一部として統合された。
- 結果として、日本では「クラシックバレエ+モダンバレエ」という融合した形が主流になり、現在のバレエ団のスタイルに影響を与えている。
- コンテンポラリーダンスの台頭により、「クラシック+コンテンポラリー」という新しい形で進化している。
まとめ
今日は戦後日本において、クラシックバレエが急速に発展していった理由と、モダンダンスとの立場が逆転し、バレエに組み込まれて行く過程についてご紹介しました。
現在、ヨーロッパやアメリカでも、さまざまなバレエ団でダンサーたちはクラシックバレエとコンテンポラリーダンス、両分野の訓練を受けています。
今日の結論だけを見ると、日本も海外と変わらないような印象を受けるかもしれません。
しかし、実際には欧米ではクラシックバレエとコンテンポラリーダンスは共存関係にあり、日本では以前としてクラシックバレエが中心的で、コンテンポラリーダンスの影響は限定的です。
次回は、日本と欧米におけるコンテンポラリーダンスとクラシックバレエの関係性の違いについてご紹介します。
お楽しみに!
最後までお読みいただき、有難うございます!
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