さて、前回は本来バレエはエンターテイメント性が強いものだったが、「狂言」のように時代を経たことで解釈の余地が生まれ、さらに西洋から日本へと海をこえることで、ここでも解釈の余地が広がり、時代と共に様式も洗練されて行ったことから、「芸術」として広く日本で受け入れられるようになったことを確認しました。
また、ここで言う「芸術」は20世紀以降に流行した「アート」の概念とは必ずしも同じではなく、より伝統や様式を重んじる日本独自の表現で、作り手の思想や表現を重視する西洋由来のアート(Art)の概念は、むしろ20世紀初頭のバレエ・リュスの登場を皮切りに、モダンバレエやコンテンポラリー・ダンスの方へ受け継がれて行ったと言えます。
さて、現在の日本におけるバレエの立ち位置を知る上で、海外とはまったく異なる流行り方をした、ある特殊事情を考えないわけにはいきません。
日本ではクラシックバレエより先にモダンダンスが流行した

日本ではクラシックバレエよりもモダンダンスの方が先に流行したという特殊な状況がある。モダンダンスは20世紀初頭に流行した”Art”の流れを強く受けたものだよね。
これは、明治初頭に写実主義の洋画が日本にもたらされ、すぐに印象派の絵画が日本でも流行したために、いわゆる「クラシック」な西洋絵画とカウンターカルチャーだった印象派の絵が日本で奇妙な混じり方をしたことと似ているようにも思える。この点から、日本のクラシックバレエとモダンダンスの関係性を整理してみて。

あなたが指摘した「日本における印象派とクラシックな写実絵画の奇妙な混じり方」との類似性が非常に興味深いですね。
1.美術の歴史との類似性
① 明治時代の美術受容
- 日本は西洋画の写実主義(アカデミズム) を導入したが、その直後にカウンター的な印象派 が流行した。
- そのため、日本の美術界では「伝統的なアカデミズム」と「印象派」が同時に影響を与え合う状況 になった。
- つまり、日本では「最新の動向」と「古典的なもの」が並行して受容され、本来の西洋の歴史的発展とは異なる形で混在することになった。
② クラシックバレエとモダンダンスの受容の仕方
- 日本ではクラシックバレエが本格的に広まる前に、モダンバレエの影響が強かった。
- ドイツ表現主義の流れを汲むモダンダンスが先に受け入れられた。
- その後、戦後になってクラシックバレエが本格的に普及し、格式のある「芸術」として扱われるようになった。
📌 つまり、戦後日本ではクラシックとモダンが「時代の流れに沿って」ではなく、「並行して存在する」形になった。
📌 この構造は、日本の美術や音楽の受容の仕方とも共通する。
2.なぜモダンダンスが先に受容されたのか?
クラシックバレエよりもモダンダンスの方が先に流行した理由を考えると、以下のような要因が挙げられます。
① 日本にとってクラシックバレエの「制度」が障壁になった
- クラシックバレエは、ヨーロッパの宮廷文化と深く結びついており、厳格な訓練システムやアカデミックな枠組みがある。また、その枠組みの中で訓練して身体を作り、技術を習得するにも時間がかかった。
- しかし、日本にはそうしたバレエの教育制度が存在しなかったため、すぐには受容できなかった。
- 一方で、モダンバレエは「自由な身体表現」が中心であり、日本の身体表現(歌舞伎や日本舞踊など)とも親和性があった。
② モダンダンスは「個人の表現」を重視し、日本の新興芸術運動と結びついた
- モダンダンスは、個人の内面的表現や抽象的な動きを重視する。
- これは、西洋の「Art(アート)」の流れを強く受け継いでいるため、近代の日本美術運動(白樺派、民藝運動など)とも共鳴しやすかった。
- 西洋のアカデミックな形式よりも「自由で創造的な表現」に価値を見出す傾向があった。
③ 大正・昭和初期の日本の文化的流れと一致
- 大正時代には「新しい芸術運動」(新劇運動、モダニズム)が活発になっており、モダンダンスもその一環として受容された。
- モダンダンスはその自由な身体表現ゆえに、日本の「新しい芸術」の流れと自然に融合できた。

当時のアメリカやヨーロッパではクラシックバレエの経験のあるダンサーが新しい表現方法を求めてモダンダンスを習うというケースがよくあったみたいだけど、日本ではそもそもクラシックバレエの訓練を受けた人が少なかったために、モダンダンスが先行した。
📌 クラシックバレエは「形式を重視するアカデミズム」だったため、日本ではすぐに根付かなかった。
📌 一方、モダンバレエは「自由な表現」を重視するため、近代日本の文化運動と親和性が高かった。
3.その後、日本におけるクラシックバレエとモダンダンスの関係性
時代 | モダンダンスの状況 | クラシックバレエの状況 |
---|---|---|
大正〜昭和初期 | 日本に導入され、芸術運動の一環として広まる | 限られた人々しか学べず、本格的な普及には至らず |
戦後(1950年代〜) | 既存のバレエ団に組み込まれ、芸術の一部となる | 海外のバレエ団の影響で急速に発展、格式ある「芸術」として定着 |
現代(1990年代〜) | コンテンポラリーダンスと融合し、多様化 | クラシックバレエは「ハイ・アート」としての地位を維持 |
📌 日本ではモダンバレエが先に定着し、その後クラシックバレエが「芸術」として受け入れられるという逆転現象が起こった。
📌 この流れは、日本の美術や音楽の受容の仕方と共通する。
4. 結論:「日本ではクラシックバレエとモダンダンスが混在した」
✔ 西洋では「クラシックバレエ → モダンバレエ」という流れだが、日本では逆の順序で普及した。
✔ これは、日本が西洋文化を受容する際、「最新のもの」と「古典」をごちゃまぜにして取り込んできたことと関係している。
✔ クラシックバレエはアカデミズムの障壁があったため、自由な表現を重視するモダンダンスが先に定着した。
✔ その後、クラシックバレエが「格式ある芸術」として受容され、日本では両者が共存する独特の状況が生まれた。
まとめ
はい、今日はここまで。
今日は主に第2次世界大戦前にクラシックバレエよりもモダンダンスが日本で普及した背景についてご紹介しました。
クラシックバレエのテクニックを身につけるには幼少期からの訓練にかなりの時間を要する反面、「個」の表現に重点を置くモダンダンスは「オリジナル化」がしやすく、戦前の日本ではモダニズムブームも相まって、我流の自称「モダンダンサー」が大量に生まれたようです。
戦前のバレエに関しては、過去ブログ「川端康成とバレエ」でも紹介しましたが、ほんの一握りの日本人だけがバレエの訓練を受けている状況で、言語や文化の違いから、技術の習得だけが先行するという状況でした。
- 西洋の伝統文化
- バレエ
- 技術
本来は上でまとめたように、西洋の伝統文化の中でバレエが生まれ、バレエの表現手段として技術が発展したはずが、日本ではこの順番が逆になってしまったのです。
西洋の伝統文化は、クリスマスやバレンタインのように部分的に日本に合体吸収されて独自の発展を遂げたものの、今でも貴族文化は「よそのもの」のままです。
さて、戦前はバレエよりモダンダンスが流行した日本ですが、戦後はこの立場が逆転します。
次回は戦後の日本を見ながら、このねじれ現象について理解を進めていきたいと思います。
という訳で、次回もお楽しみに!
最後までお読みいただき、有難うございます!
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