突然ですが、人は自分の運命を変えられるのでしょうか?
僕の5つ年上の従兄弟、中野志朗は文学座の演出家として活躍しています。昨日、彼が演出したギリシャ悲劇「オイディプス王」を観てきました。舞台を見ながら、この普遍的な問いについて考えました。
じつは僕、高校生の頃に「真・女神転生」というゲームをプレイしてから、すっかり神話の世界に魅了されまして。世界中の神話や物語を読み漁っていた時期があって、「オイディプス王」を観て特に印象的だったのが、ギリシャ神話と日本神話における『運命』の捉え方の違いでした。
今日は、この2つの神話における運命論の違いについて、みなさんと一緒に考えてみたいと思います。
避けられない運命 ―オイディプスの物語―
「オイディプス王」という物語をご存知でしょうか。
スフィンクスからテーベの街を救った英雄オイディプス王は、「将来、父親を殺して母親と結婚するだろう」という恐ろしい神託を受けた子どもだった。両親はその運命を避けようと、赤ん坊のオイディプスを殺そうとする。しかし彼は生き延び、やがて成長し、運命を避けようとした行動が、その予言を現実のものにしてしまう。
この物語は後にフロイトによって「エディプスコンプレックス」という精神分析用語の語源にもなりました。
けれど今日、僕が注目したいのは、「逃れられない運命」というテーマです。
ギリシャ神話における運命
ギリシャ神話では、「モイラ」と呼ばれる運命の女神たちが、神々や人間を含むすべての存在の運命を決定づけます。
神々でさえ逃れられない絶対的な力として描かれています。
日本神話における運命との向き合い方
一方、『古事記』に代表される日本神話ではどうでしょうか。運命や困難は確かに存在しますが、少し違った見方をしています。
例えば、日本神話におけるアダムとイブにあたる、イザナギとイザナミの物語を見てみましょう。
イザナミは火の神・カグツチを産んだ際に、その火に焼かれて命を落としてしまいます。深い悲しみに暮れたイザナギは妻のイザナミを追って黄泉の国へ向かいます。これは避けがたい運命のように見えますが、その後の展開が興味深いです。
黄泉の国で恐ろしい姿になったイザナミを見て逃げ帰ったイザナギは、禊祓(みそぎはらい)という浄化の儀式を行い、新たな神々を生み出していきます。ここには「再生」や「新しい秩序の創造」という希望が込められているのです。
神々との関係性の違い
ギリシャ神話では、神々でさえ運命には逆らえません。しかし日本神話の中では、神々は人間により近い存在として描かれ、時に対立しながらも最終的には調和へと向かうことが多いのです。
ギリシャ神話と日本神話のちがい
以下にざっくりとギリシャ神話と日本神話の比較をまとめました。
自然との関係から見える違い
では、いったいこの違いはどこから来るのでしょう?
じつは僕と妻の新婚旅行先はギリシャでして、憧れの神話の世界、神々の住む島々やアテネの神殿をじっさいに見て来ました。そこで見た風景は、日本とはまったく異なるものでした。
地中海性気候の特徴である夏の乾燥と冬の温暖な気候は、ぶどうやオリーブの栽培に適しています。「四季」というより「二季」と表現したくなるような気候は、ギリシャ神話にも深く結びついています。
しかし、急峻で岩がちな土地が多く、お世辞にも穀物の栽培に適した土地とは言えません。だからこそ、ギリシャの人々は自らの創意工夫で、厳しい自然を乗り越えていく必要があったのでしょう。
冥界の王ハデスの妻となったペルセポネは、神々の取り決めで一年の半分を地上で母デメテルと過ごし、残りの半分を冥界で過ごすことになった。豊穣の神デメテルは娘が地上にいる間に作物を実らせ、冥界にいる間は大地を不毛にするとされている。
一方、日本は温暖な気候と豊かな自然に恵まれています。それと同時に、台風や地震、津波といった自然災害も多い環境です。しかし、それらは「自然の怒り」として受け止められ、それを鎮めるための祭祀や儀式が発達してきました。
日本は「自然の怒り」に対して、人間の力で乗り越えようという気はおこがましくてさらさらない。むしろ、避けられないものとして受け入れ、共生し、どう再生していくかに焦点が当てられている。真ん中でイニシアチブを取る人間の不在は、以前音声配信した日本人の中空構造とともに考えると興味深い。
まとめ
このように見てくると、『運命』に対する両者の姿勢の違いが見えてきます。ギリシャ神話では運命と戦い、その結末として悲劇が描かれる一方、日本神話では運命を受け入れながらも、そこから新しい調和を見出していく物語が多いのです。
もしかしたらそれは、自然との関係性の違いから生まれたのかもしれません。厳しい自然と対峙してきたギリシャと、共生してきた日本。その環境が、運命の捉え方にも大きな影響を与えたのではないでしょうか。
もしあなたの目の前に、逃れようのない困難が訪れた時、どのように受け止めますか?
ギリシャ神話のように真っ向から立ち向かっていきますか?それとも、日本神話のように、困難の中に新しい可能性を見出し、共生しようとするのでしょうか。
コメント欄で皆さんの考えを教えてください。
最初にご紹介した、中野志朗演出の『オイディプス王』は、コンパクトな空間に上下の段差をつけた巧みな演出で、この普遍的なテーマに新しい息吹を与えていました。
今週の日曜日まで公演しているので、運命を巡る人間の物語に興味がある方は、ぜひ足を運んでみてください。
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