幕開けの足跡 -1972-

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前回の「幕開けの足跡」シリーズでは、手元にあるプログラムの中で一番古い、1971年の発表会プログラムの挨拶文を紹介しました。

今日はその翌年にあたる1972年の執行バレエスクール発表会のプログラムを紹介します。

この年のプログラムは前年と同じデザインの色違いですが、1973年からはプログラムのデザインが一新されます。どうやらこの年に母が嫁いできたことにより、発表会の役割分担にも変化が生じたようです。

さっそく、1972年がどんな時代だったかを見ていきましょう。

1972年のおもな出来事

まずは1972年がどんな時代だったかを知るために、この年に起きたおもな出来事を振り返ってみます。

  • 札幌冬季オリンピック開催:日本で初めての冬季オリンピックが開催
  • 沖縄返還:沖縄が米国から日本に返還される
  • 日中国交正常化:日本と中国の国交が回復し、これを記念して中国からジャイアントパンダ2頭が贈られ、パンダブームが到来
  • あさま山荘事件:連合赤軍のメンバー5人が人質1名を取って浅間山荘に立てこもる事件が発生
  • 第一次田中角栄内閣発足:「日本列島改造論」が押し進められる
  • 日本人ダンサーの活躍:ピーター・ファン・ダイクの紹介で岡田祥造がドイツ、ハノーヴァーの劇場とソリスト契約

1972年は、オリンピックや沖縄返還、日中国交正常化など、日本にとって重要な転換点となる出来事が起こった年だった。同時に、あさま山荘事件のような社会を揺るがす事件も発生し、急進的な左翼運動・学生運動の終焉を迎えた。岡田彰造は祖父の1番弟子だった東勇作に師事していたダンサーで、NHKの子供向け番組「おかあさんといっしょ」の3代目たいそうのお兄さん。ピーター・ファン・ダイクはパリ・オペラ座でエトワールを務めた人物で、70年代はドイツのハンブルク・バレエ団で芸術監督をしていた。

1972年6月3日(土)杉並公会堂

それでは、1972年の発表会プログラムの挨拶文を掲載します。

「今日の会よブラボー!」

昨年六月の発表会で「白鳥湖」の第二幕とラベルのオペラバレエ「こどもと呪文」をやって大反響を呼び、次いで十二月には伸宜のリサイタル公演をやった。そして今日一年目のバレエスクール発表会である。この度は三大バレエの一つ「くるみ割り人形」の全幕上演に踏み切った。日頃から私は大人の組に小さい生徒も加ったバレエをやりたいと考えていたので、それを実現するにはこの「くるみ割り人形」が最適だと思っていた。普通第二幕のディベルスティマンだけを上演する事があるし私共もやったが、全幕上演となると仲々大変だなと思った。でも生徒たちは心よく協力してくれ懸命に勉強した。日頃私共は他の仕事の忙しさもあると時たまこちらのレッスンがおろそかになり勝ちの時不平も言わずに生徒はよくついて来てくれる。その成果が今日の会で現れる。どうぞ生徒の皆さん一生懸命に踊って下さい。そして観て下さるお客さんどうぞ盛大な拍手を贈ってやって下さい。

ー執行正俊

「ブラボー!」って、なんだかこの年のじいちゃん、テンション高くない?

挨拶文を書き起こしていて、まず僕が気になったのは、これまで書き起こした挨拶文にくらべて祖父のテンションが高めに感じられることです。

このことについて思い当たることが3つあります。

ひとつ目は挨拶文にもありますが、前年末に行われた息子、伸宜のリサイタル公演です。このリサイタル公演についてはプログラムが現存しているので別の機会に詳しく紹介しますが、当時27歳の父が制作監修を務めたこの公演は、振付家として事実上のデビュー公演となりました。

ふたつ目は息子の結婚です。僕の父と母は1972年の7月に結婚します。つまり、6月に行われたこの発表会では、すでに婚約が決まっていて、祖父にとっては息子の結婚を間近に控えた時期だったということになります。

3つ目が「くるみ割り人形」の全幕上演です。今でこそ、バレエ教室の発表会で全幕ものが上演されることは珍しくなくなって来ていますが、この当時はバレエ団ではない、街のバレエ教室が発表会で全幕ものを上演することは、技術的にも時間的にも、そして財政的にもめずらしい挑戦でした。

この年は「くるみ割り人形」の全幕の前に、子供のための「小品集」もプログラムされていて、盛りだくさんの内容でした。教室が全幕ものができるくらい成長し、息子も公私共に充実した状況の中で行われた発表会だったからこそ、「ブラボー!」につながったのではないかと思います。

まとめ

1968年に世界第2位の経済大国に成長した日本。1973年のオイルショック前年にあたる1972年は高度成長期の最終段階と言えます。東京だけでなく日本各地でバレエ教室が開設され、発表会も定期行事として定着し、海外のダンサーや振付家との交流も少しずつ増えてきた時代です。

過去記事ですでにご紹介した1973年のプログラムには、1972年の全幕上演の成功を受けて、「コッペリア」の全幕上演が行われたことが記載されています。

現在の執行バレエスクール発表会でも、全幕ものを上演した翌年は1幕ものの作品を数作品上演することが多く、当時2年連続で全幕ものの上演をしたことは、こうした日本社会の急速な発展が背景にあります。

一見、社会とあまり関係のなさそうな父のリサイタルや母との結婚、発表会などの出来事も、当時の社会状況を知ると、より味わい深いものに感じられます。

 


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