あけましておめでとうございます。
年始早々、石川県能登半島で大きな地震があり、現在も被害が大きかった街では懸命の救出活動が続いています。被災された方の無事を心よりお祈り申し上げます。
あまりめでたくない年始となってしまった2024年ですが、じつは妻の実家は地震のあった石川県金沢市にあり、紆余曲折を経て、妻や息子と共に金沢市に帰省してきました。今は無事東京に戻って、こうやってブログを書いております。本年最初の投稿となる今回は、僕たち家族の里帰りの顛末をお届けします。
2024年1月1日
年末に感染してしまった新型コロナウイルスもなんとか治り、溜まっていた仕事を猛ダッシュで進めて、なんとか無事迎えることができた正月。執行バレエスクールに家族全員集まって新年の挨拶とお節料理を食べ、荻窪八幡神社で初詣を済ませて帰宅。
ちょうど息子の飼っているトカゲに餌をあげている最中にグラっと揺れを感じました。直後に母親から電話があり、石川県で大きな地震があったとのこと。妻と一緒にテレビを見ると、NHKの女性アナウンサーが「落ち着いてください。テレビを見るのをやめて、今すぐ高台に逃げて下さい!」と聞いているこちらが落ち着きをなくしてしまいそうな切迫感漂う声で叫んでいました。
慌てて金沢の実家に電話したところ、大きな揺れがあったものの、家族は全員無事で家財道具も被害はなかったとのこと。ホッと胸を撫で下ろしたところで、翌日から予定していた金沢への帰省はどうしようということになりました。僕たち家族は1月2日から新幹線で金沢に帰省する予定だったのです。
3.11で僕たちが学んだことは「できるだけ正確な情報を仕入れて、正しく恐れること」です。1月1日の段階では、金沢の被害は比較的軽微だったことが分かりましたが、新幹線も飛行機も運行を停止し、これから大きな余震に見舞われる可能性もまだ残っていました。
とりあえず1月2日の帰省は諦めて、少し様子を見ることしました。
2024年1月2日
翌日になっても新幹線は運休し、能登沖では震度5、金沢では1〜3程度の余震が続いていました。金沢の実家とはこまめに連絡を取っていて、開店予定だったお店も点検作業などで閉じているところが多いとのことでした。
この時に僕が思い出していたのが3.11の時の東京でした。3.11の時、東京は今回の金沢市と同じく震度5の地震に見舞われました。3.11の時は福島第1原発の事故もあったので、東京から脱出する人も多くいましたが、地震単体で見ると僕の実感は「確かに大きな地震だったけど、命の危険を感じるほどではなかった」でした。東京でも余震は何度も続きましたが、最初の大きな揺れと同じレベルの地震は起きませんでした。
もちろん、だからと行って今後石川県で大きな揺れが起きないという保証はありませんし、金沢が大きな地震に見舞われなくとも、新幹線は日本海側を通っていくので、向かっている最中に地震や津波に巻き込まれる可能性だってありました。
一番安全なのは、当然「行かない」という選択です。ただ、金沢には98歳を迎える曽祖母もいて、ようやく昨年コロナが明けて3年ぶりに孫(妻)とひ孫(息子)の顔を見せることができるようになったので、命の危険がない限り、できるだけリスクを少なくして金沢に行きたい気持ちもありました。
そこで、新幹線での金沢行きは諦めて、運行が再開していた空路で金沢に行くことに決めました。幸い航空チケットはすぐに取ることができたので、宿泊予定のホテルに1日到着が遅れることを伝えるため、電話をかけました。
すると、「地震で断水が発生してしまったので、お泊まりできません」とのこと。
「やっぱり行かない方が良いんじゃない?」と一抹の不安がよぎる。
慌ててホテルを探し始めると、地震でドタキャンが相次いだのか、好条件のホテルがお手頃価格で見つかります。最初のホテルは朝食なしで予約していたのですが、今回のホテルは朝食付きで同じような料金で予約できました。
ちょっと気分が上がったところで飛び込んできたニュースが、羽田空港で起きた海上保安庁の機体と日本航空機の追突・炎上事故でした。
2024年1月3日
一夜明けて、日本航空機の乗客は全員が無事に脱出し、能登半島に救援物資を届けるための海保機は5人が犠牲になったとのニュースを見ました。(心からご冥福をお祈りします)
この事故の影響で、1月3日のフライトは一部が欠航、一部は大幅な遅れが生じていて、またもや無事に金沢に辿り着けるのか分からなくなってきました。
こんな状況を押してまで行く必要があるのか懸念はあったけど、一連の出来事が僕たちにとって本当に危険なことなのかどうか、なんとなくの雰囲気だけで判断をしないようにした。
僕たちの飛行機は空港からバスを使って搭乗ゲートまで移動する必要があったのですが、バスが飛行場を移動する途中、昨日の事故機の黒焦げになった残骸を目の当たりにしました。
結局、僕たちのフライトは予定時刻より1時間半ほど遅れましたが、無事羽田を出発し、小松空港にたどり着くことができました。
まとめ
その後、無事に曽祖母にも会うことができ、金沢の家族と食事をしたり、隣の福井県で恐竜博物館に行ったりと、滞在自体はとても楽しいものになりました。
また、今回の里帰り中に余震を感じたのは4日間の滞在中、最終日の朝1回だけでした。(それも震度1-2くらい)報道されている沿岸部の深刻な状況とは違いました。
それでも、今回の僕たちの旅が無事終わったことはあくまで結果論で、「行かない」という選択をした人たちにはその人たちの優先すべき理由があったのだと思います。もしかしたら、送り出す側の家族や迎える側の家族の反対にあって断念された方もいるかもしれません。
最終的な判断は個々人によってバラバラだと思いますが、こういった緊急事態に選択肢が与えられているのであれば、自分や家族にとって一番大切なことは何かを基準に、信頼できる情報からリスクを判断することが重要だと思います。
そのための参考になる書籍が、環境工学者の中西準子さんによる著書「環境リスク学」と「原発事故と放射線のリスク学」です。例えば喫煙による発癌リスクと、年間に放射線を浴びる量が通常基準値の50倍*になった場合の発癌リスクは、どちらが大きいのかなど、ひとつひとつの事象(ファクト)を正しく知るだけでなく、それぞれのファクトを比較して、どちらが相対的に危険が少ないかを知る方法を紹介しています。
*一般人は年間1ミリシーベルト。レントゲン技師など放射線を扱う作業に従事する人の年間被爆量の限度は50ミリシーベルト。
それでは、本年も宜しくお願いします!
最後までお読みいただき、有難うございます!
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