ニジンスキー、マシーンと、立て続けに恋愛スキャンダルで解雇したディアギレフ。そろそろ気づいたのではないでしょうか?
女性の振付家雇った方が良くない?
ブロニスラヴァ・ニジンスカ -バレエ・リュス唯一の女性振付家-
兄のワスラフ・ニジンスキーはウクライナのキエフ生まれですが妹のブロニスラヴァ・ニジンスカは1891年お隣のベラルーシの首都ミンスクで生まれます。
元はペテルブルク帝室劇場で踊っていましたが、兄と共にバレエ・リュスの旗揚げから参加して、《牧神の午後》では7人のニンフのひとりを演じます。
《牧神の午後》はニジンスキーと二ジンスカの共同振付けだという説もあるよ。
兄の解雇によってバレエ・リュスを離れますが、1921年ディアギレフがロンドンで《眠れる森の美女》を上演するにあたり、振付家として呼び戻されます。
《眠れる森の美女》はプティパの最高傑作をヨーロッパで上演する画期的な試みでしたが、興行的には大失敗で、ディアギレフは膨大な借金を抱えることになります。
バレエ・リュスに王道の作品は期待されていなかったのかな?これに懲りたディアギレフは古い作品には手を出さないようになったよ。
その後もニジンスカはバレエ・リュスで活動を続けます。彼女の特徴は、兄のニジンスキーはダンス・デコールを否定した振り付けを行いましたが、兄の影響は受けつつ、ダンス・デコールも用いたことでした。
代表作としては、パリの女性画家マリー・ローランサンが衣装を担当し、女性同士の恋愛を描いた《牝鹿たち》、モリエールの恋愛喜劇をもとに、キュビズムの旗手ジョルジュ・ブラックが美術を担当した《うるさがた》、コクトーが台本、シャネルが衣装を担当し、スポーツを主題とした《青列車》などを作っています。
なかでもニジンスカの最高傑作はストラヴィンスキーの歌曲に振付けた《結婚》です。
台本はストラヴィンスキーが書き、ロシアの農村における結婚の儀式をたどる筋立てで、新郎・新婦が友人たちと別れる寂しさや、当日まで結婚相手を知らないことへの不安が描かれました。
新婦の長いお下げ髪を持ったり、ダンサーが折り重なって顔を垂直に積み上げたり、群舞のフォーメーションが独特だったり、ポアント技法を多用したことが特徴でした。
まとめ
ニジンスキーが発表した作品はどれも野心的でバレエの構造自体を疑うような実験的なものが多かったように思いますが、二ジンスカの作品は構造よりも民族性や物語性を重視し、より華やかな印象です。
ニジンスカは4年ほどバレエ・リュスで振付を行い、再びバレエと袂を分かち、自分の舞踊団を結成します。
ニジンスカのあと、バレエ・リュス最後の振付家となったのがジョージ・バランシンです。
最後までお読みいただき、有難うございます!
ブログは毎週火曜・金曜日、音声配信の「ライムライトのつぶやき」は
水曜・土曜日の朝7時に更新しています。
Xをフォロー、もしくはfacebookで「いいね」を押して頂けると、
ブログを更新したタイミングでX(旧Twitter)からお知らせします。
皆さんからのご意見・ご感想もお待ちしています。
コメント