バレエの歴史 バレエ・リュス編 -4-

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今回から、バレエ・リュスを代表する振付家をご紹介します。

ディアギレフは、バレエ・リュスの20年の活動期間に創作の中心となる振付家を次々と交替させていったので、ここでは活躍した年代順に以下の人物を紹介していきます。

  • ミハイル・フォーキン
  • ワスラフ・ニジンスキー
  • レオニード・マシーン
  • ブロニスラヴァ・ニジンスカ
  • ジョージ・バランシン

いずれ劣らぬ、バレエ界のレジェンド振付家たちばかり。今回の記事だけでは紹介しきれないので回を分けて紹介していくよ。

ミハイル・フォーキン -バレエ改革の主唱者-

フォーキンはロシアの首都(当時)ペテルブルクに生まれ、帝室バレエ団でアンナ・パヴロワのパートナーとして活躍しますが、早くから振付家を志し、バレエ改革に意欲的でした。

ミハイル・フォーキン(1880-1942)
レオン・バクストによる《火の鳥》の衣装

フォーキンが目指したのはマリウス・プティパが確立したクラシック・バレエ様式の超克でした。

作品の主題に関して、これまでヨーロッパ中心だった内容を《クレオパトラ》では古代エジプトを《青神》は古代インドに広げ、《火の鳥》や《ペトルーシュカ》では、ロシアの民話・民謡を取り入れて振付を行いました。

また、舞台をひき立たせるため群舞を装飾的に用いたプティパを批判し、群舞に演劇的な意味づけを与えるように努めました。長大な全幕作品を避けて一晩で3,4本上演できる1幕ものを中心に作ったのもフォーキンの特徴です。

フォーキンは音楽と美術をバレエの平等なパートナーと捉えており、ディアギレフの目指す創作方針とも相まって、総合舞台芸術としてのバレエを実現することに寄与しました。

代表作の《火の鳥》は、作曲家ストラビンスキーと共同で台本を作成し、*レオン・バクストによる衣装は非常に民族色が強く、これまでのバレエの衣装のような動きやすさよりも世界観を重視したデザインでした。

*ロシアの画家、舞台美術家、衣装デザイナー。バレエ・リュスでは《火の鳥》《牧神の午後》《ダフニスとクロエ》を担当し、バレエ・リュス独立後のイダ・ルビンシュテインにも衣装デザインを提供している。

僕が注目したのはフォーキンが全幕作品を避けて短い1幕ものを作ったこと。これは次々と出し物が変わるサーカスみたいに、観客を飽きさせない巡業バレエならではの工夫だったんじゃないかな。また、バレエ・リュス初期の実験段階ではヒット作やスターダンサーを発掘するためにも、たくさんの作品を作る必要があったのだと思う。

1912年、フォーキンは《ダフニスとクロエ》の初演で上映時間と順番を巡ってディアギレフと対立し、バレエ・リュスを脱退します。しかし、この一件は同年に発表された《牧神の午後》のスキャンダルにかき消されて、ほとんど話題にのぼりませんでした。その《牧神の午後》で振付と主演を務めたのが、ワスラフ・ニジンスキーです。

まとめ

その後、フォーキンはディアギレフの説得で1914年にバレエ・リュスに一時復帰しますが、《蝶々》《金鶏》などの振付作は大ヒットとはなりませんでした。

1920年にアメリカへ渡り、そこで「フォーキン・バレエ」を結成し後進の育成を行い、バレエ・リュスの後継であるバレエ・リュス・モンテカルロやアメリカン・バレエシアターでも振付を行いました。

次回は天才ダンサーにして振付家、ニジンスキーについてご紹介します!


 


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