今回はマリウス・プティパが確立した「クラシック・バレエ」とは何かについてご紹介します。
クラシック・バレエの「クラシック」は日本語だと「古典」ですよね。僕は今まで、バレエってなんだか古いものだから「クラシック」と呼んでいるのだと思っていましたが、そうではありませんでした。
今日の記事で、これまで僕の「バレエの歴史」シリーズを読んできた方には、なぜ「バレエ」の前に「クラシック(古典)」という言葉が冠されたか分かるようになります。
史上最高の振付家 マリウス・プティパ
プティパはダンサーの父と女優の母の息子としてフランスのマルセイユで生まれます。パリで3代目「舞踊の神」オーギュスト・ヴェストリスに学び、ダンサーとして踊りましたが、当時フランスで成功していたのは兄のリュシアン・プティパでした。
29歳で父と共にロシアのペテルブルクに渡り、そこで《パキータ》《ジゼル》などのロマンティック・バレエを踊り、まずはダンサーとして成功します。
50年代、ペローがペテルブルクのバレエマスターを務めた期間は助手を務め、次にサン=レオンがバレエマスターの期間に《ファラオの娘》という振付作品で名声を集め、サン=レオンが去った69年にバレエマスターとなります。
以後30年以上にわたってロシア・バレエを牽引し続けました。
クラシック・バレエの3つの特徴
クラシック・バレエの特徴として、「バレエの世界史」著者の海野敏さんは以下の3つをあげています。
- ロマン主義的な主題に基づく作品構成
- 物語から離れた舞踊場面の形式化
- ダンス・デコールの原理に基づいた独特の造形美
ひとつ目に関しては前回の記事に紹介した通り、恋愛関係、異世界あこがれ、異国情緒ものという特徴を備えたロマンティック・バレエがフランスを代表する振付家やダンサーによってロシアにもたらされ、プティパも同じような構成の作品を多数振り付けています。プティパは踊りの魅力を最大化するために、あえて単純な筋立てと定型的な人間関係を選択したのです。
そして二番目の特徴として、プティパは物語が進行する演技パートと、物語の進行に関係のない踊りだけの場面を分離して、上演時間の多くを踊りだけの場面に配分しました。さらにこの舞踊場面をパターン化して、複数の作品の中に同じような構造を作り出したのです。
舞踊場面の形式化の一例を挙げると「ディベルティスマン」「グラン・パ・ド・ドゥ」「バレエ・ブラン」があります。
これな。クラシックバレエをはじめて観ると、よくこの踊りだけの場面が入って、物語が進まずに踊りばかりが延々と続いて戸惑うんだよ。
ディベルティスマンはフランス語で「余興」を意味し、物語と関係ない踊りが次々と演じられます。ここでピンと来た方、いつも僕のブログをご愛読いただき有難うございます。バレエはイタリアで貴族の「余興」からはじまっているんです。ディベルティスマンは主役男女の結婚のお祝いシーンとしてよく挿入されており、政略結婚の余興でバレエを披露していたメディチ家を思い出させます。
プティパは踊りの場面を増やすためにこれを積極的に自身の作品に挿入しています。
グラン・パ・ド・ドゥは「重要な二人踊り」を意味するフランス語です。4曲構成の最初が男女二人がゆっくりとしたテンポの曲調で踊る「アダージオ」、2曲目は男性だけが踊る「男性のヴァリエーション」、3曲目は女性だけが踊る「女性のヴァリエーション」、4曲目は「コーダ」と呼ばれ、男女二人が早いテンポの楽曲で難易度の高いテクニックの踊りを交互に披露し、最後は二人で組んでフィニッシュします。
バレエ・ブランは「白いバレエ」を意味して多数の女性ダンサーが白いチュチュを着て踊る群舞のことです。この群舞はクラシック・バレエで「異界」を表現する場面でよく使われています。
バレエを見たことがない人がイメージするバレエって「白鳥の湖」の群舞じゃないかな?バレエ・ブラン自体はプティパ以前にもあったけど、プティパも女性群舞の魅力を伝えるために積極的にバレエ・ブランを採用したんだ。
かつて18世紀フランスでは、バレエはオペラの合間に箸休めとして挿入されていました。その時のバレエは啓蒙思想家のルソーによってこう突っ込まれていました。
オペラの中に入るバレエって、物語を途中で中断させるから、いらなくない?
それに対し、バレエがオペラから独立して、一つの芸術様式として確立された時代のペローのアンサーはこれです。
今はみんな、踊りを見に来ているんだから、物語よりも踊りの場面をもっと増やさないと!
最後にクラシック・バレエの特徴である3つ目の要素「ダンス・デコールに基づいた独特の造形美」。
海野さんは著書で以下のように述べています。
「幾何学的」「調和」「均整」、これらの言葉でピンと来た方、いつも僕のブログをご愛読いただき有難うございます!これらの特徴はすべて、ギリシヤ・ローマ時代の哲学を祖とする「古典主義」から出てきたものです。
まとめ
これまでの「バレエの歴史」シリーズで、ギリシヤ・ローマ哲学を祖とする「調和」や「均整」を目指す古典主義がルネサンスの時代にも、16世紀の前バレエの時代にも、そしてフランス革命後にも登場してきましたね。
そう、「調和」と「均整」を目指す古典主義と、19世紀にフランスで登場したロマン主義が合体したものが「クラシック・バレエ」の正体でした。
19世紀のクラシック・バレエ編、言葉の定義だけであっさり終わらせるにはもったいない名作がたくさんあります。
というわけで次回はクラシック・バレエの代表作を選りすぐってクラシック・バレエの最重要作曲家、チャイコフスキーの偉業とともに紹介していきます。
最後までお読みいただき、有難うございます!
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