さて、今回はロマンティック・バレエを代表するスターダンサーと代表作を紹介します。この時代になると今も観ることができる作品がたくさん出てきます。
ロマンティック・バレエのスターダンサー
以下、生年順に4人の女性ダンサーを紹介します。
超自然のポアント技法
マリー・タリオーニ(スウェーデン)
タリオーニ家は多くのロマンティック・バレエ貢献者を輩出していますが、イタリア生まれの振付家フィリッポ・タリオーニを父に持つマリー・タリオーニはロマンティック・バレエを誕生させた父娘として歴史に名を残しています。
彼女の痩せて細い身体、長い手足を生かした身のこなし、そして空中を浮遊するようなポアント技法がロマン主義の目指した超自然的な精神性にマッチし、人気を博しました。1932年パリ・オペラ座で上演された父フィリッポ振付による「ラ・シルフィード」はロマンティック・バレエ初の全幕バレエで、マリーが演じたのは風の妖精、シルフィードでした。
官能の踊り手
ファニー・エルスラー(オーストリア)
エルスラーはパリ・オペラ座でタリオーニと人気を2分した人気スターでカマルゴとサレの再来と言われました。タリオーニもエルスラーもオーギュスト・ヴェストリスに師事しますが、二人の踊りは対照的でした。
タリオーニの踊りが詩情に満ちて繊細だったのに対し、エルスラーは情熱的・官能的でした。代表作は《松葉杖をついた悪魔》で、自らアレンジしたスペインの民族舞踊「カチューチャ」を踊り、複雑な足捌きとコケティッシュな動作が評判になりました。
ロマンティック・バレエによく登場する妖精役はタリオーニ、三角関係のもつれはエルスラーと、それぞれの特徴にあった当たり役があったんだ。
イタリアの技巧派
ファニー・チェリート(イタリア)
チェリートはイタリアのナポリでデビューし、イタリアの各地で踊り、1840年以降はロンドンのハー・マジェスティーズ劇場(前身はノヴェールやオーギュスト・ヴェストリスが活躍したキングズ劇場)で大スターとなりました。
フランスではジゼルの振付で有名になったジュール・ジョゼフ・ペロー振付の《アルマ、あるいは火の娘》がヒットします。彼女は高さ、速さ、軽さが卓越し、ポアント技法も見事な技巧派でした。
また、プライベートでは《コッペリア》の振付家として有名なサン=レオンと結婚して、のちに離婚しています。
名作「ジゼル」の初代主役
カルロッタ・グリジ(クロアチア)
グリジはクロアチアに生まれ、イタリア巡業中に先出のペローに見出され、公私にわたるパートナーになります。出会った当時ペローは25歳、グリジはわずか16歳でした。1936年、ペローとグリジはロンドン、パリ、ウィーンなどを巡業しますが、当初はペローの方がダンサーとして注目されていました。ところが、1840年パリ・オペラ座が入団を認めたのはグリジでした。
グリジは前回紹介した劇作家のゴーチェの目に止まり、その熱愛を受けて1841年《ジゼル》が初演されることになります。そこでグリジはタリオーニとエルスラーの長所を併せ持つと評論家から絶賛されます。
振付は当時のパリ・オペラ座のバレエマスター、ジャン・コラーリとペローが共同で行いました。ただし、グリジの踊りの部分は全てペローが振付ています。
そのほか、ペローはヴィクトル・ユゴーの「ノートルダム・ド・パリ」を原作とした、《エスメラルダ》も振付し、グリジが主演を務めた。だけど二人は結局、結婚しないまま別れちゃった。
まとめ
はい、今日はこれでおしまいです。
タリオーニはスウェーデン、エルスラーはオーストリア、チェリートはイタリア、グリジはクロアチア出身と、この時代のスターダンサー達は国際色が豊かですね。これは乗合馬車の運行開始や鉄道、蒸気船の実用化など移動手段の進化と、それに伴うヨーロッパ各地へのバレエの伝播が関係していそうです。
次回は、今回紹介した4人の全てを兼ね備えたと言われるデンマークの天才ダンサーと、その天才ダンサーを産んだデンマークのバレエについて紹介します。
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