ルネサンスの本場、イタリアからやってきたお姫様
イタリアに憧れ、フランスでルネサンスを開花させたフランソワ1世。1533年、その息子アンリ・ド・ヴァロワ(のちのアンリ2世)の結婚相手としてイタリアのフィレンツェからやってきたのが、当時14歳だったカトリーヌ・ド・メディシスです。
「メディシス」の名前でおわかりかもしれませんが、彼女はメディチ家の出身です。メディチ家といえば、ボッティチェリやミケランジェロなど、イタリアルネサンスを支えた芸術家達の庇護者です。
1547年、フランソワ1世が病死し、夫が次の国王アンリ2世となり、二人の間には10人の子供が生まれます。ところが、アンリ2世は馬上槍試合の事故で急死、あとを継いだ長男はわずか1年で病死。そのため10歳の次男がシャルル9世として即位して、実権は摂政(国王の代理)となった母后カトリーヌが握ります。
そんな彼女が王権強化のために積極的に行ったのが、政略結婚です。
結婚式につきものなのが、余興。余興といえばバッロ。
そう、ここでバレエと繋がってくるんだ。
カトリックとプロテスタントの融和を目指した結婚が悲劇を呼ぶ
フランス王家はカトリック教徒ですが、地方にはプロテスタントを支持する貴族もいました。なかでもカルヴァン派のプロテスタントを「ユグノー」と呼び、カトリック派の軍隊がユグノーを虐殺した事件をきっかけにユグノー戦争が勃発します。カトリーヌは両派の融和をはかり、プロテスタント派の領袖ナヴァール王アンリに娘を嫁がせます。
この結婚のためにプロテスタント派の貴族もパリに集まり、数日間にわたる盛大な余興が開かれて、バッサダンツァやバッロも披露されました。この余興のタイトルは「楽園の守りまたは愛の楽園」と名付けられ、カトリックとプロテスタントが仲直りするような筋立てになっていました。
ところが、結婚式の四日後、プロテスタント派の指導者がパリからの帰途で何者かに襲われ負傷します。プロテスタント派の報復を恐れたカトリック派が、事件から2日後のサンバルテルミの祝日にプロテスタント派を襲い、大量虐殺がはじまります。
「やらなければ、やられるかもしれない。」
人々の間に芽生えた不信感と恐怖心はフランス各地に伝播し、数万人の死傷者を出しました。この殺戮が歴史に残る「サンバルテルミの虐殺」です。
「ポーランドのバレエ」と「王妃のバレエ・コミック」
サンバルテルミの虐殺の翌年、国王シャルル9世の弟アンリ・ド・ヴァロワが「ポーランド・リトアニア共和国」の国王として貴族選挙で選ばれます。カトリーヌは、国王に選ばれたことを伝えにきたポーランド使節団を歓待するために「フランスの平和と繁栄」をテーマにした余興「ポーランドのバレエ」*を開催します。
この余興自体は無事に終わったんだけど、アンリはポーランド語を話せなくて馴染めなかった
らしい。だいじな国王を決める貴族会議で何を話し合ったんだろうね。
*「ポーランドのバレエ」の名称はあとからつけられたもので文献に「バレエ」という記述はなかった。
結局、戴冠からわずか3ヶ月後、兄のシャルル9世が病死し、アンリはそそくさとフランスに帰ってヴァロワ朝最後の国王、アンリ3世になります。
1581年「バレエ」と記された*史上初の演目「王妃のバレエ・コミック」が上演されます。アンリ3世の王妃ルイーズ・ド・ロレーヌの妹マルグリットとアンリ3世の忠臣ジョワイユーズ公の結婚を記念して、王妃ルイーズみずから余興の制作を依頼したため、「王妃の」と冠されています。
*海野敏の著書「バレエの世界史」には史上初と記されているが、「ポーランドのバレエ」を史上初とする諸説もある。
「バレエ・コミック」というのは、笑えるバレエという意味ではなくて、ハッピーエンドのバレエという意味だよ。
「ポーランドのバレエ」「王妃のバレエ・コミック」どちらも振付はイタリア出身のダンス教師にしてフランス最初のバレエ振付家と呼ばれるボージョワイユーが務めています。彼の振り付けの特徴は、「新プラトン主義」に影響された、非常に幾何学的な隊形を作るという点にあります。
万物の根源は数が支配する!(世の理は全部数字で説明できる)
これはギリシャ時代の数学者ピタゴラスの神秘思想を拠り所にして、正確なステップやダンサーの配置に数字を用いて調和させ、イデアを現実世界に視覚化しようとする試みでした。
まとめ
現実には調和は訪れず、ユグノー戦争は混迷を極め、アンリ3世はカトリック修道士に刺殺されてヴァロワ朝は断絶します。
そのあとフランスを治めたのはサンバルテミの虐殺の時の新郎、ナヴァール王アンリでした。彼はブルボン朝初代国王アンリ4世となって、自らプロテスタントからカトリックに改宗し、その上で1598年「ナントの勅令」でプロテスタントに信仰の自由を認め、40年に渡る内戦は終結します。
アンリとかフランソワとか、何度もおなじ名前が出てきてイヤになった人のために、
以下の図で16世紀のおもな出来事と活躍した人の名前をまとめておいたよ。
さて、明日はひと休みして仕事部屋に戻ります。来週から17世紀のフランスをご紹介します!
最後までお読みいただき、有難うございます!
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